最下位脱出へ…中畑新監督“地獄の伊東キャンプ”再現

[ 2011年12月10日 06:00 ]

球団の新ロゴを背に笑顔の横浜DeNA・中畑新監督

 横浜DeNAは9日、横浜市内のホテルで元巨人・中畑清氏(57)の初代監督就任を発表した。2年契約で年俸は1億円。背番号は70が濃厚。恩師である長嶋茂雄読売巨人軍名誉監督(75)の「ミスター流継承」を誓った新指揮官は、現役時代からの明るいキャラクターそのままに会見場を笑いで包み込んだ。一方で4年連続最下位からの脱却へ、来春の沖縄・宜野湾キャンプを練習漬けにする厳しい姿勢も打ち出した。

 キヨシ流の就任会見は、最初から最後まで笑い声が途切れなかった。

 「たくさんの方に集まっていただきありがとうございます。ひとえに私の人気かなと思います。うれしいです」。横浜市内を見渡せるホテルの70階。集まったテレビカメラ10台を含む、約120人の報道陣を「つかみ」でいきなり沸かせた。

 4年連続最下位に低迷中のチーム。立て直しが急務の新球団が望んだのは「明るく、元気な監督」だが、この条件にこれほど当てはまる指揮官はいない。約1時間の会見。軽快なトークで会見場を何度も笑いで包み込んだ中畑新監督は「球界に恩返しができるのであれば、最高のポジションで勝負をしてみたい。そういう目標を持ち続けていた」と話した。

 新指揮官が目標に掲げる監督像が、恩師の長嶋茂雄監督だ。明るく天真らんまんな長嶋監督だが、練習には一切の妥協がなく、指導は厳しかった。「1対1のノックなんて本当に真剣勝負。雑念が何もない。その後にうまくなっている」。中畑新監督はそれを新生横浜DeNAで実践する。

 イメージは長嶋監督が79年の秋に実施した伊東キャンプだ。若手選手を集めて徹底してしごき抜いた。想像を絶する厳しさは今でも「地獄の伊東キャンプ」として語り継がれている。それをはい上がった選手だけが後に巨人の中心選手となり、常勝軍団の礎となった。来年2月の沖縄・宜野湾キャンプを「それに近いもの」と位置づけ、徹底的に鍛え上げる。

 代名詞でもある“絶好調”のフレーズは「選手のもの」として封印する方針で、新たに自身のキャッチフレーズとして「熱いぜ」を掲げると派手に拳を握りしめて、また笑わせた。注目の背番号は船出となった会見場がホテルの70階だったこと、ラッキー「7」と「0」からのスタートを合わせた「70」が濃厚だ。

 「どこまで自分が体の芯から汗をかいて、選手たちと向かい合っていい汗を流せるか。やるからにはてっぺんを目指さないと」

 明るく、そして厳しく。中畑新監督とともに、ベイスターズが生まれ変わる。

 ◆中畑 清(なかはた・きよし)1954年(昭29)1月6日、福島県生まれの57歳。安積商(現帝京安積)から駒大に進み、75年ドラフト3位で巨人入団。通算成績は1248試合で打率・290、171本塁打、621打点。オールスター出場6度、ゴールデングラブ賞7度。85年に労組・日本プロ野球選手会の初代会長に就任した。89年現役引退。93、94年は巨人でコーチ。04年アテネ五輪ではヘッド兼打撃コーチを務め、病に倒れた長嶋監督の代行として指揮を執り銅メダルを獲得した。現役時代の口癖は「絶好調!」、愛称は「ヤッターマン」。

 ▽伊東キャンプ 79年の巨人は5位に終わり、2年続けてリーグ優勝を逃した。V9を支えたベテランに衰えが見られ、次世代の選手の育成が急務とあって就任5年目の長嶋監督が、静岡・伊東スタジアムの秋季キャンプに中畑、江川、西本、篠塚ら若手を招集。少数精鋭で猛練習を行い、チームの底上げを図った。個人技を磨くことを目的とし、フォーメーションなど全体練習はほとんど行わなかった。

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2011年12月10日のニュース