浜田尚里 初出場でオール一本で金 日本柔道史上最年長30歳で栄冠「まだ、強くなれる」

[ 2021年7月30日 05:30 ]

東京五輪第7日 柔道女子78キロ級決勝 ( 2021年7月29日    日本武道館 )

柔道女子78ロ級決勝得意の寝技に持ち込み一本勝ちで金メダルを獲得した浜田尚里(撮影・北條 貴史)
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 ニュータイプの五輪チャンピオン2人が誕生した。女子78キロ級の浜田尚里(しょうり、30=自衛隊)が日本柔道史上最年長で金メダルを獲得。男子100キロ級のウルフ・アロン(25=了徳寺大職)も、決勝で趙(チョ)グハム(韓国)を破り金メダルを獲得。同階級では00年シドニー五輪の井上康生(現男子日本代表監督)以来の頂点に立つとともに、史上8人目の柔道3冠を達成した。これで今大会の柔道ニッポンの金メダルは計8個となり、04年アテネ五輪に並ぶ最多タイとなった。

 豪快に投げるだけが柔道じゃない。若くして頂点に立つだけがヒロインでもない。1年の延期で三十路で初五輪を迎えた浜田が、今大会の日本勢で初めて、オール一本勝ちで戴冠。それも4試合全てが得意の寝技。畳を下りるまではニコリともしなかったが、担当の塚田真希コーチと握手し笑顔に。フラッシュインタビュー中には、積年の思いが詰まった涙が頬を伝った。

 「絶対に金メダルを獲る気持ちでやってきたので、優勝できて良かった。得意の寝技で決められて良かった。狙っていた」

 決勝相手のマロンガには、同じ日本武道館で開催された19年世界選手権の決勝で完敗。ポイントリードを許した焦りから、不用意に大外刈りにいって返されてから2年。この日は相手の担ぎ技で両者つぶれたところを逃さず、うつぶせの相手を返して、がっちりと押さえ込み。「決められると思っていなかった」としたが、わずか1分9秒で勝負を決めた。

 16年のリオデジャネイロ五輪後、国際柔道連盟(IJF)はルールを改正。それまでは「待て」がかかる場面でも、寝技をより長く見てもらえるようになり、グランドスラム(GS)レベルの国際大会で優勝経験がなかった浜田も「プラスになった」と時流に乗った。17年には出場した国際大会4大会、全15試合を寝技で一本勝ちの快記録。28歳の誕生日に初出場した18年世界選手権でもオール一本で初優勝を果たし、世界から恐れられる“女寝技師”となった。

 実は身体能力もずばぬけており、50メートル走は鹿児島南高在学時の手動測定ながら6秒7を記録。膝下筋力の測定でも、大学の男性陸上部員並みの記録を出したほどの下半身を誇る。ソビエト連邦で開発された軍隊格闘技でもある「サンボ」でも14年に世界選手権を制覇。その力は寝技に持ち込む際、相手に絡まれた足を抜く力にもつながり。この日の4試合で遺憾なく発揮した。

 女子48キロ級で一時代を築いた谷亮子が、33歳で迎えた5度目の北京五輪で銅メダルを獲得した例はあるが、柔道日本女子で30歳で五輪初出場が最年長なら、30歳307日での金メダルは08年北京の内柴正人(30歳54日)を上回り、男女通じての最年長記録。増地克之監督も「体力的には大変だが、それを上回る技術と精神力を持っている」と舌を巻いた。

 「まだ全然、技術は良くなるので強くなれると思う」。戦いを終え、普段の優しい目になった浜田の視界には、24年パリ、28年ロサンゼルスも入っている。

 【浜田 尚里(はまだ・しょうり)】☆生まれと競技歴 1990年(平2)9月25日生まれ、鹿児島県出身の30歳。10歳の時に国分西クラブで開始。鹿児島南高―山梨学院大を経て、13年4月に自衛隊に入隊(現在は1等陸尉)。

 ☆主な実績 15年のグランプリ青島でワールドツアー初優勝を果たし、17年グランドスラム東京大会優勝。世界選手権は18年に優勝、19年は準優勝。柔道と並行して行っていたサンボでは、13年のユニバーシアード、14年世界選手権で優勝(いずれも80キロ級)。

 ☆得意技 各種寝技で、特に関節技が得意。一方で「立ち技で投げたい」との意欲も。

 ☆名前の由来 本人いわく「しょうり」の読みにはあまり意味がないそう。書道をしている母が左右対称の漢字を組み合わせて決めた。

 ☆趣味 旅行。コロナ禍前は、年に一度は富士山に登り、日の出で心を洗っていた。コーヒーが好きで、山梨学院大時代には柔道部仲間とカフェ巡りをすることも。

 ≪アテネも「16」≫日本が今大会獲得した金メダルは大会前半の第7日までで早くも15個となり、72年ミュンヘン大会の13個を抜いて歴代単独3位に浮上。64年東京大会、04年アテネ大会で記録した過去最多の16個にあと1と王手をかけた。

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