【平昌で輝け】伊東大貴 昨年11月に右肩負傷…2大会連続の不運受け入れ悲願へ

[ 2018年1月24日 09:30 ]

昨年11月のW杯個人第1戦で着地に失敗し、引き揚げる伊東(左)
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 なぜ“五輪の神様”は再び試練を与えたのか――。昨年11月のW杯個人第1戦(ポーランド・ビスワ)。伊東大貴(32=雪印メグミルク)は着地後に転倒した。シーズンが始まったばかりの手痛いアクシデント。帰国後、病院で右肩亜脱臼と診断され、その後のW杯遠征を回避。国内調整を余儀なくされた。

 五輪前のケガは2度目だった。14年ソチ五輪。大会直前に左膝を痛めて、最初の種目ノーマルヒルを欠場。団体戦は満身創痍(そうい)で臨み、3番手を任された。痛みを抱えながら気力を振り絞り、130メートル超えを連発。日本の銅メダルに貢献した。

 まさか4年に1度の五輪で2大会連続の不運に見舞われるとは…。W杯通算4勝。世界も認める実力者に再び試練の五輪が待ち受ける。現状、ケガの回復は決して順調ではない。昨年11月以降リハビリに励んできたが、今月15日になって、ようやく約2カ月ぶりにジャンプ練習を再開。札幌・宮の森で2本を飛んだが、「ケガ明けは恐怖心がある。着地で負荷がかかると痛みが出る」と明かした。それでも、「万全な状態で2大会臨めないが、ケガで気付けることもある。平昌まで限られた期間、自分のつくり出せるベストの状態に持っていく」。32歳のベテランはこの運命を受け入れた。

 伊東は14年ソチ五輪銀メダルの葛西紀明らを輩出した北海道の小さな町・下川町で育った。小学生の頃、夏は野球、冬はスキー・ジャンプをしていたが、98年長野五輪のジャンプを観戦し、志す道を定めた。その天性の素質は輝きを放ち、関係者から「天才ジャンパー」と呼ばれた。その後、社会人となって世界で活躍。13年世界選手権では高梨沙羅らと男女混合団体で金メダルを獲得した。だが個人のメダルがない。それがいつしか五輪の悲願となった。

 24日。五輪前では唯一、伊東に残された世界舞台の実戦、W杯に出場するため、ポーランドに向けて出国する。

 ◆伊東 大貴(いとう・だいき)1985年(昭60)12月27日生まれの32歳。北海道上川郡下川町出身。下川中―下川商、土屋ホームを経て、09年に雪印(現雪印メグミルク)に入社。06年トリノから3大会連続で五輪出場。14年ソチ五輪は団体銅メダル。13年世界選手権の男女混合団体で金メダル。W杯通算4勝。家族は妻、1男1女。1メートル73、58キロ。

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