犬塚弘さんはなぜ役者として花開いたのか?

[ 2023年10月28日 05:07 ]

犬塚弘さん死去

 1991年6月、テレビ番組に出演したクレージーキャッツのメンバー。(左から)安田伸さん、犬塚弘さん、ハナ肇さん、植木等さん、谷啓さん、桜井センリさん=東京・赤坂
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 強烈なリーダーシップでクレージーキャッツを引っ張ったハナさん、「スーダラ節」で一躍メンバー一の人気者になった植木さん、「ガチョーン」のギャグで愛された谷さん。個性豊かなメンバーに囲まれながら犬塚さんは、バンドで担当したベース同様、しっかりと地に足を着けてテンポを刻むバランサー的な役割を果たしていた。

 性格は生真面目でアルコールが苦手。一世を風靡(ふうび)したコミックバンドの一員でありながら周囲に「性格的に自分はお笑いができなかった」と漏らしたこともあった。

 1960年代後半に入ってメンバーそれぞれがソロ活動にも力を入れるようになると、映画「無責任シリーズ」などで培ってきた役者への道を本格的に志すようになった。それまで喜劇中心だった活躍の場を、本来の生真面目な性格を生かすシリアス劇へと移し、映画、テレビドラマだけでなく、劇作家、井上ひさしさんの「きらめく星座」など、演劇作品でも名脇役として存在感を示すよ
うになった。

 ただ、演技派俳優として確固たる地位を築いた後も「解散なんかしてません。みんな死んじゃっただけで」とクレージーのメンバーであることには最後までこだわりを持っていた。メンバー7人全員がそろった88年の映画「会社物語」には舞台への出演を断って参加し、主演のハナさんを支えた。のちに犬塚さんは「全員が集まる時は必ずやると決めていたから。やっぱり愛情がある。古里へ帰ってきたような気がするんだ」と語っている。

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