94歳 犬塚弘さん死去 「クレージーキャッツ」全員が天国へ

[ 2023年10月28日 05:10 ]

犬塚弘さん
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 1960年代に国民的人気を集めたグループ「クレージーキャッツ」の一員として活躍、俳優としても知られた犬塚弘(いぬづか・ひろし、本名弘=ひろむ)さんが27日までに死去した。94歳。東京都出身。通夜・告別式はすでに執り行われた。「ワンちゃん」の愛称で親しまれ、クレージーのメンバーとして唯一の存命者だったが、仲間たちが待つ天国に旅立った。

 犬塚さんは、2011年に妻幸子さんと静岡県熱海市のシニア向けマンションに移住。15年に幸子さんに先立たれたが、親しい友人もおり、晩年を生き生きと過ごしていた。

 20年来の交流がある市内の飲食店「カフェ・ド・シュマン」のオーナー杉本憲治さん(74)は「最後に会ったのは7月。仲間で食事し、“目指せ100歳”と言うほど元気だった。残念」と話した。かつて所属した事務所の系列会社によると「生前の本人の意思により、詳細な情報は公表を控える」との意向で、死因などは明らかにされなかった。

 90歳を過ぎて脊柱管狭窄(きょうさく)症を患い、19年、大林宣彦監督の遺作「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を最後に俳優業を引退の意向を示していた。製作総指揮に当たった奥山和由氏(68)によれば「大林監督も自らの遺作になる覚悟を持って撮影に挑んだ作品。最後に出演してほしい俳優さんの資料を作り、その中に犬塚さんの名前がありました」という。奥山氏は「お姿はクレージーキャッツ時代と変わりなく軽やかなものでした」と振り返った。

 父は貿易商で、幼少時からジャズやハワイアンに親しんだ。52年に兄がつくったハワイアン・バンドに参加。ハナ肇さんに出会い55年、クレージーの前身バンドに参加。植木等さんや谷啓さんらが加わり、米軍キャンプなどを回るうちに「クレージーキャッツ」と改称し、瞬く間に人気バンドとなった。「クレージー黄金作戦」などの喜劇映画のほか、テレビでもバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」などに出演。音楽と笑いの融合は後のドリフターズにつながる。「スーダラ節」などが大ヒット。高度成長期の日本を明るく照らした。

 犬塚さんはウッドベース担当で、とぼけた役回りで親しまれた。メンバーが単独で活動するようになると俳優として活躍。山田洋次監督の映画「馬鹿が戦車でやって来る」や「男はつらいよ」シリーズ、テレビドラマに出演。ひょうひょうとしつつ哀愁を醸し出す演技で味わいを添えた。

 2010年の谷さんのお別れの会では弔辞を読んだ。12年に桜井センリさんが86歳で亡くなり、クレージーのメンバーで最後の存命者となっていたが、それから11年。日本の芸能史に残る国民的グループが幕を閉じた。

 犬塚 弘(いぬづか・ひろし、本名弘=ひろむ)1929年(昭4)3月23日生まれ、東京都出身。文化学院社会学部卒業。出演にフジテレビ「おとなの漫画」、映画「冬物語」「十五才 学校4」「零 ゼロ」など。2013年に著書「最後のクレイジー 犬塚弘」出版。

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