じゅんいちダビッドソン独立 新会社「合同会社潤一」で仕事の窓口一本化

[ 2020年1月6日 05:30 ]

じゅんいちダビッドソン
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 サッカー元日本代表MF・本田圭佑(33)のそっくり芸人じゅんいちダビッドソン(44)が、昨年限りで所属していた事務所「アミー・パーク」を退社し独立したことが5日、分かった。

 新会社「合同会社潤一」を設立し今後の拠点とする。ユーチューブなどネット事業と舞台やテレビの仕事の窓口を一本化するため。「5年くらい前から考えていた」といい、昨年3月に事務所に申し出た。事務所への感謝を述べ「芸人として長く続けることが恩返し」と飛躍を誓った。

 【じゅんいちダビッドソンと一問一答】

 ――退社、独立の経緯
 結構前から考えていたんですよね。5年くらい前かな。お笑いイベントや舞台、テレビの仕事を事務所がやってくれていた中で、それら以外にも、ネット系、YouTubeのキャンプや、オンラインサロン(じゅんいちダビッドソンのキャンプ村)とか、やっているんですが、こっちは自分で管理していたんです。そうしたら、事務所とこっちでスケジュールの擦り合わせが、どうしても遅れが出てきてしまって。これからの仕事はインターネットをはじめ、多方面になってくる。アメリカとか、そうなんですよね。自分がいて、多方面にエージェントがいてっていう。そういう時代になった時に、自分はどうしようかなって考えたんですよね。

 ――事務所に伝えたのは、いつ?
 今年の3月くらいに(アミー・パークの網井雄三)社長と飲みながら、そういう話をしました。「うん、分かった。年末までにしようか」って言ってってくれたんです。それプラス、「抜けるんだったらなあ、自分で会社とか起こして頑張ってほしいけどなあ」って社長が言ってくれて、僕もそうかなって思っていたので、こういう運びになりました。

 ――設立は?
 12月3日に立ち上げました。資本金100万円でつくって、ホームページで35万くらいかかったのかな。いきなり、お金が足りてないですね(笑い)。目標としては、今と同じくらいスムーズにいけば、来年もう1人雇って。現場マネジャーを雇えるかなあって。今は僕とマネジャーの2人です。まあアミー・パークの時も、現場入りとか、だいたい1人でしたし、イタリアから1人で帰ってくるとか、しょっちゅうあったんで、別にいいんですけどね(笑い)。

 ――円満退社
 ありがたいことに、アミー・パークと円満。来年1月くらいまでの仕事を引き継いでくれたんですよね。謹慎だなんだって、いろんなことがある世界で、本当に感謝しているんですよ。12月アタマくらいまでにオファーがあった話は全部まとめた上で、うちの事務所に引き継いでくれた。その後に問い合わせが入った仕事は、こっちに転送してもらって、こっちで対応しているっていう感じです。だから、本当にアミー・パークに入って良かったって思いますよ。

 ――会社の代表。プレーイング・マネジャーですね。
 会社をつくって便宜上は僕が代表ですが、会社のこと、自分の仕事のことはマネジャーに一任します。なぜかと言えば、商品じゃないですか、僕は。お金の交渉はしたくないので、全部マネジャーに任せるつもりです。お金の交渉や、仕事の交渉の席に僕が出ることはないんです。僕は代表ですけど、所属タレント。そういう形にしたいんです。

 ――網井社長の思い
 聞いていないので、想像の話ですけどね。僕が芸人やタレントら後進を、なんて、そこまではないですけどね。社長も高齢だし、例えばですよ、事務所に大変なことがあった時に「若い子たちのことを、そっち(合同会社潤一)で面倒を見られるように」っていう、そんな思いもあるんじゃないかなっていうのはね。想像の話ですけどね。社長とは今後も飲んだりすると思うし、そういう話を聞けるんじゃないかな。

 ――約20年所属した
 26歳の時だったと思いますね。97年から芸人をやっていて、アミー・パークに入ったのが2000年か2001年。漫才コンビを組んでいた時で、僕らがライブのネタ見せに勝手に行ったんですよね。で、そのライブに出してもらって、「事務所に入れてください!」って言って入れてもらった。結構、長いこと、ね。コンビ解散して、ピンになって、キャラコントやって、本田選手のネタをやって、、長いこといましたね。芸人人生のほとんどをアミーパークで。仕事のやり方の部分で、こうしたいって独立したんですけど、こう会社をつくってみて、本当にアミーパークで良かったなあって。今後どうなるか分からないけど、網井社長に恩返ししないといけない。なるべく長いこと芸の世界でやり続けることが、恩返しになんのかなって思っているので、そこは何とか、頑張っていこうと思っています。

 ――仕事の基本線は?
 変わらないです。やっぱりテレビ。テレビ出演は、僕はねピンポイントっていうか、レギュラーでトークってタイプじゃないから難しいけど、テレビが憧れなんで。今年は東京五輪もあるでしょう。お笑いの仕事をメインに、趣味のキャンプのYouTubeも19年4月に始めて6万人以上もチャンネル登録してくれて、多少仕事として成立してきて、メーンから外れたところも仕事になってね。そこで今年は東京五輪があって。本田選手がオーバーエージ枠に入ろうものなら、僕2カ月くらい寝られなくなりますよね。なかなかね、ポジションの兼ね合いや、他にも候補はいますから、本田選手が3人の中に入るのは難しいことなのかもしれないですけど、これまで、そういう逆境で、やってきた方ですからね。もちろん代表入ってくれたら嬉しい。他にも、パラリンピックの推奨イベントとかに出させてもらっているんですけど、ブラインドサッカーの高田敏志監督とは友人ですし、(県立尼崎北、名古屋学院大で水球部所属)水球なんて、僕と吉川晃司さんしかいないでしょう(笑い)。テレビや営業などお笑いの仕事があって、サッカーにブラインドサッカー、それでキャンプに行くでしょう。僕、今年は家いらないですね(笑い)。

 ――新天地での初仕事
 12月31日までアミー・パーク所属で1月1日から始動しました。元旦の日帰り営業でしたね。長崎のイオンでネタステージ30分2本。当日の朝入りで当日帰り。なかなか、ないでしょ(笑い)。

 ○…初仕事は元日営業。正月1日に長崎の商業施設を訪問。30分2本のステージに立ち初笑いを届けた。「正月から仕事するのは、あまり記憶はないですね」と照れ笑い。また、独立後初となる単独ライブ(5月8日、東京・シブゲキ!!)の開催が決定。今夏は東京五輪が控えており、サッカーや水球関連など仕事のオファーが予想されるだけに、勝負の一年となりそうだ。

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