【歌丸さんを悼む】古典から新作まで…常に芸の味を感じさせた

[ 2018年7月3日 09:30 ]

桂歌丸さん死去

2006年、パリの日本文化会館で落語を上演した桂歌丸さん
Photo By 共同

 律義できちょうめんな人だった。文化庁の視察委員として二国間交流公演でカナダのトロントやカンボジアなどにご一緒したが、もちろん師匠は出演者のトップ。公演後には打ち上げの手配をきちんとしていた。

 終わると、さりげなく一人になるのが好きな人で、僕はニューヨークで同行メンバーの若手たちをお預かりし、グリニッチビレッジやタイムズスクエアを案内。師匠が好きな一人で過ごす時間を早めにつくり出したことがある。

 自分の後継者に三遊亭小遊三や春風亭昇太らを暗黙のうちに早くから推していたこともあり、落語芸術協会はどんな時でもびくともしない組織となった。みんな、歌丸師匠の功績である。

 酸素のチューブを鼻から入れて笑点や大事な落語会、宴席にも欠かさず出る人だった。だから先日まで元気な時には夏の恒例である国立演芸場にも出演する意欲を見せていたが、ついに病は克服できなかった。

 芸の上では三遊亭円朝の古典ものから、宇野信夫の新作まで幅広くこなして、とうとうたる芸の味を常に感じさせた人だった。寂しいが、時代は変わる。小遊三らがこれからの落語芸術協会を盛り上げていくことだろう。常に思慮深く、僕らのような若者にも気配りを忘れなかった歌丸さんに感謝とお別れを。さようなら。 (スポニチOB・花井 伸夫)

続きを表示

この記事のフォト

2018年7月3日のニュース