菊池桃子“教えること”に目覚めた理由…「桃子モデルつくりたい」

[ 2015年12月19日 12:32 ]

初の著書「午後には陽のあたる場所」サイン本お渡し会前に取材に応じた菊池桃子

 歌手でタレントの菊池桃子(47)が19日、都内の書店で初の著書「午後には陽のあたる場所」(扶桑社)サイン本お渡し会を開催。芸能人としてだけではなく、母校の客員教授として教壇に立つ理由を明かした。

 菊池は「これまでも書いてみないかと言っていただく機会はあったんですけど、なんかあまりスキャンダラスな内容になることを求められることは嫌で、自分の思いをまっすぐ伝えられる機会をもらって、今はそれができ、書かせていただいた。半分タレントであり、半分先生として書いています」と執筆の経緯を説明。

 1984年にアイドルとして芸能界にデビューし、その後、さまざまなフィールドで活躍しつつ、結婚も経験し2児をもうけるも、その後、離婚した。「結婚や離婚が良いものなのか、それぞれ価値感は違うと思うが、今の自分は前向きで充実した日々を送れている。私にとっては良いものだったと思っています」と胸を張った。

 01年に誕生した長女が生後7カ月の時に脳梗塞を発症し、左側の手足にまひが残った。これまでの人生を振り返り、もっとも良かったと思うことは「親が生んでくれたこと」と話した菊池。「私は生まれなかったかもしれない。まずは親が生んでくれたことに感謝と良かったという思いがあります」。逆に悲しかったこととしては「娘が脳梗塞という病気をしたことです」と話した。

 その長女の障害をきっかけに、39歳の時に法政大学大学院に入学。その後、教授助手を経験した後、母校の戸板女子短期大学の客員教授に就任し、雇用政策の講義を担当し、教壇に立っている。「先生になって4年目。4年経つと、2本の柱があって、それぞれの少しずつ工夫の仕方は違うというか、より楽しく、充実したものになりました」と充実の表情を浮かべた。

 教壇に立つようになることを考えた契機は「大学院に入ったら先生に向いていると周囲から言われるようになった。後輩に先輩として教えているうちに、先生に向いているんじゃないかと、仲間や教授の先生方に言われるようになった」ことだったという。「自分は天才型ではない。コツコツ努力型なので、苦労して覚えていくとか、つまづいて学習していくタイプの人にも気長に付き合えるタイプ。芸能界で仕事する時とはチャンネルは違う。面倒見がいい先生で、生徒の人生ではほんの一部分ですけど、印象的な教え方と声がけができる先生になりたい」と自信を見せる。

 今後についても「教育活動はいつまでも勉強を続けながらやっていきたい。芸能活動としてもさらなる高みを目指したい。両方とも頑張りたい。よりユニークな人だねと言われるように、菊池桃子モデルみたいなものができるといい。2本柱でしっかり大地を踏みしめたい」と前を向いた。

 最後は再婚への思いにも言及。「あまり恋愛体質ではないみたいで、あまりそこまでの気持ちにならない。ただ、それは芸能活動と教員とで頭がいっぱいになっているかもしれない。余裕ができたらそうなるのかな?」と笑顔を見せていた。

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