「天皇の料理番」感動呼ぶ“音の魔術師”心情表す巧みな選曲

[ 2015年6月21日 09:00 ]

TBS「天皇の料理番」の音楽プロデューサーを務める志田博英氏

 第8話(14日放送)で平均視聴率15・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と自己最高を記録したTBSテレビ60周年特別企画・日曜劇場「天皇の料理番」(日曜後9・00)。パリ編が終わり、21日放送の第9話から最終章・皇居編が始まる。音楽プロデューサー・志田博英氏(55)が“音の魔術”を駆使し、ドラマの感動をより深いものにしている。

 大正~昭和の史実に基づき、日本一のコックを夢見て福井から上京した青年・秋山篤蔵(佐藤健)の成長を描く人間ドラマ。志田氏は「白夜行」「Mr.BRAIN」「JIN―仁―」「とんび」などに続いてヒットメーカー・石丸彰彦プロデューサー(41)とタッグを組んだ。

 音楽プロデューサーの仕事は大きく分けると(1)作曲家の選定(2)デモ(音源)作り(3)音楽を映像に当てる「選曲」がある。

 (1)は「とんび」も好評で、数々のドラマや鬼束ちひろ(34)の「月光」の編曲などで知られる作曲家・羽毛田丈史氏(55)をメーンに起用。石丸プロデューサーから2人体制の要請があり、志田氏が立ち上げた音楽制作プロダクション「カレント」に所属する新進気鋭の作曲家・やまだ豊氏(26)をサポートに抜擢した。

 (2)はまず、ドラマの企画書に目を通し、どのような音楽が必要かを考え「メニュー」を作成する。「メーンテーマ」「サブテーマ」を2本柱に、そのほか「日常」の場面でかかる曲、「事件」の場面でかかる曲、今回なら「料理」の場面でかかる曲、「歴史」の流れの中でかかる曲などと、必要な曲を想定。6月10日に発売されたサウンドトラックには22曲入っているが、実際に使っているのは31曲。通常の連続ドラマは20~25曲という。

 そして、デモ(音源)作り。志田プロデューサーの役割は「言葉でこういう音楽を作ってほしい」と要望するドラマの制作陣と「それを音符で表現する作曲家」の間に入ること。今回、最も難航したのは羽毛田氏によるメーンテーマ「明日の夢~天皇の料理番~」(サントラ1曲目)だった。

 制作側からメーンテーマのイメージとして伝えられたのは、ドラマの主題歌「夢見る人」を書き下ろしたさだまさし(63)の名曲「親父の一番長い日」。しかし「それをそのまま作曲家に投げると、単に『親父の一番長い日』のインストゥルメンタルができてしまいます。方向性は保ちながらも、あくまで作曲家自身のイメージで作ってほしい、と」。羽毛田氏は「親父の一番長い日」を「ノスタルジックで感動を呼ぶ昭和歌謡」ととらえたため「例えば中島みゆきさんに行ってみたらどうか。叙情的なトランペットや、時代感が出る木管楽器を使うとよく聞こえるかもしれない」などと試行錯誤の末、完成した。

 (3)は音の入っていない完パケを見ながら、場面に見合う曲を当てる作業。志田プロデューサーが1人、東京・西麻布のスタジオで行う。画に合う音楽を選び、画に合うように編集する。

 例えば第8話、パリ編の終盤。フランソワーズ(サフィラ・ヴァン・ドーン)と別れ、1人で日本に帰ることになった篤蔵(佐藤健)。セーヌ川沿いに佇んでいると、新太郎(桐谷健太)が見送りに現れる。新太郎は「そのうち1枚300円になるからさ」とスケッチブックを手渡す。 そこには篤蔵とフランソワーズが描かれていた。思い出がよみがえり、切なさが募る篤蔵の目には涙が浮かぶ。

 「篤蔵の気持ちを音楽で表現すればいいか」。志田プロデューサーはやまだ氏によるメーンテーマ「Theme of Dreams」(サントラ22曲目)をチョイスした。

 篤蔵が「わし、帰りたくないです」としゃがみ込むと、新太郎は「やれやれ、そういうことかい。そうかい、そうかい。そういうことかい」と2人の別れに気付き、篤蔵のカバンを両手に走りだしたところで「新太郎の気持ちを音楽で少し支えてあげました」(志田プロデューサー)。

 新太郎は振り返り「おいらが一番、帰ってほしくないさ。けど、おいら日本人だから。最高のコックは天皇陛下にお渡ししなきゃなんないだよ。いいじゃねぇか 。そこ(スケッチブック)にいるだろ。フランソワーズはそこにいるだろ。なんだい、おいらの絵じゃ不服だっていうのかい、この野郎。頑張れよー。料理番!」とエール。篤蔵は「はいー」と日本行きを決心する。ここで、ちょうどサビが流れる。志田プロデューサーは「今回のドラマのテーマは登場人物の気持ちに、どう音楽を当て込むか。篤蔵の日本への思いがグッと戻った時、メーンテーマの一番いいメロディー、サビの部分が来るように曲を積み重ねました」と巧みに構成したのだった。

 志田プロデューサーには選曲が「僕の一番の仕事場。一番のやりがい」。サウンドチェックも兼ねて自身が手掛けた映画の上映館に足を運ぶ。「泣きどころで付けた音楽で、皆さんが感動していただける時って、映画館の中の温度が上がるんですよ。そういう時は頑張ってよかったなと思いますね」

 バンドをしていたため、音楽に興味はあったが、もともとはプロサーファーになりたかった。専門学校の放送学科に進み、録音スタジオの面接に受かった。就職はしたくなかったが、会社の研修を受けることが卒業の条件に。そこでピンク映画時代の高橋伴明監督(66)井筒和幸監督(62)滝田洋二郎監督(59)ら錚々たる監督たちと会い、その真剣な姿に胸を打たれた。そして、その選曲・音響マンの仕事ぶりがカッコよく「音楽1つでこんなに変わるんだ」と新発見。今や数々のバラエティー番組からドラマ、映画を手掛ける選曲・音響効果の第一人者になった。

 最終回へ向け、志田プロデューサーの“マジック”が一層、冴え渡る。

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