森田芳光監督 新作公開待たず死去…今秋から体調不良

[ 2011年12月22日 06:00 ]

死去した森田芳光監督

 「家族ゲーム」「失楽園」など数多くの話題作を発表した映画監督の森田芳光(もりた・よしみつ)さんが20日午後10時15分、急性肝不全のため東京都内の病院で死去した。61歳だった。東京都出身。今秋から体調を崩し、入退院を繰り返していた。来年3月24日に最新作「僕達急行 A列車で行こう」の公開を控えていたが、これが遺作となってしまった。突然の悲報に芸能界には衝撃が走った。

 「A列車で行こう」の宣伝プロモーションも既に動きだし、森田監督も張り切っていた矢先の無念の死だった。交通新聞社が運営するサイト「トレたび」には「鉄道が“少し好きです。”」というエッセーを10月から月イチで連載。亡くなった20日は3回目がアップされた日だった。

 関係者によれば、長年C型肝炎を患っており、日頃から摂生に努めていた。酒も口にしなかった。松山ケンイチ(26)と瑛太(29)を起用し、昨年9月から10月にかけて九州と東京近郊で行った撮影は乗り乗りで、本人もラスト作になるとは思わなかったに違いない。

 体調が悪化したのは今年秋。関係者は「3カ月ほど前にも一度危険な時期があった」と明かし、この際は持ち直したものの、12月に入って容体が急変。13日に入院したが、腎臓にも異常が見つかり、ついに帰らぬ人となった。臨終はプロデューサーでもある和子夫人がみとったという。遺体は自宅ではなく都内の安置所に移された。

 81年に「の・ようなもの」で商業映画にデビュー。脚光を浴びたのは松田優作さんが風変わりな家庭教師に扮した「家族ゲーム」(83年)だった。横一列に並んで座る食卓の風景で空疎な時代の空気を活写。ホームドラマの概念を壊し、ブルーリボン賞監督賞などをさらって実力派の若手監督として注目された。

 役所広司(55)と黒木瞳(51)が主演した「失楽園」(97年)は社会現象にもなり、夏目漱石原作の「それから」(85年)、宮部みゆきさん原作の「模倣犯」(02年)、向田邦子さん原作の「阿修羅のごとく」(03年)など文芸作にも力量を発揮。黒澤明監督の名作「椿三十郎」のリメークに挑むなどチャレンジ精神も旺盛だった。

 「黒澤監督がシンザンなら僕はシンボリルドルフになりたい」と話すほどの競馬好きで知られ、89年の日本ダービーでは一口馬主だったリアルバースデーが2着。豪快に笑った笑顔が忘れられない。

 ◆森田 芳光(もりた・よしみつ)1950年(昭25)1月25日、東京都生まれ。小学校時代に子役としてテレビ番組に出演。日大芸術学部放送学科を卒業後、78年に「ライブイン・茅ヶ崎」を自主製作し監督生活をスタート。シリアスドラマからアイドル映画、コメディーまで多彩なジャンルの作品で話題に。製作総指揮を務めたオムニバス作品「バカヤロー!」シリーズは4作作られた。「39 刑法第三十九条」で99年の毎日映画コンクール監督賞受賞。

◇森田芳光さん葬儀日程
【通夜】23日(金)午後6時
【葬儀・告別式】24日(土)午前11時
【場所】青山葬儀所=東京都港区南青山2の33の20=(電)03(3401)3653
【喪主】妻森田和子(もりた・かずこ)さん

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