ヤクルト・ドラ3石原 朗希世代 反骨心胸に目指せNo.1!

[ 2024年1月24日 05:30 ]

ノックを受ける石原(撮影・沢田 明徳)
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 【24年版球界新士録(9)ヤクルト3位・石原勇輝投手】経歴だけを見れば“エリート街道”を歩んできたが、野球人生で一度も背番号「1」を背負ったことがない。その石原を支えてきたのは反骨心だ。

 「ずっとエースやキャプテンの背中を見るばかりだった。現状では負けていても、いつかは追い越したいと思ってやってきた」

 広島県呉市出身。小学生時代はカープジュニアに所属し、高校は地元の名門・広陵へ進んだ。2年秋の明治神宮大会、3年春は甲子園に出場して明大へ。広陵→明大というステップは広島・野村や、日本ハム・上原ら多くのプロを輩出した「黄金ルート」。だが、高校時代は大阪ガスから広島入りした河野がエースだった。大学でも4年になるまでスポットライトが当たることはなかった。

 同学年にはロッテ・佐々木やオリックス・宮城がいる01年生まれ。プロでチームメートになった奥川とは、高校時代に対戦したことがある。明治神宮大会初戦の星稜戦。先発で3回2/3を7安打7失点と打ち込まれ、チームはコールド負けを喫した。相手先発の奥川は7回3安打無失点の快投。「別格でしたね。年は同じでも雲の上の存在でした」と力の差を痛感した。

 「高卒でプロに行く実力はなかった。全国的に注目される東京六大学で力をつけてプロになるという目標を立てた」。徹底した走り込みとトレーニングが実を結んで140キロ前後だった球速は149キロにまでアップし、ドラフト3位指名を受けた。「やっぱり同学年の選手には負けたくない。広陵、明治の看板を背負っているので」。憧れのサウスポー・石川のように、息の長い選手を目指す。(重光 晋太郎)

 ◇石原 勇輝(いしはら・ゆうき)2001年(平13)8月30日生まれ、広島県呉市出身の22歳。小1から川尻ヤングパワーズで野球を始め、中学は府中広島2000ヤングでプレー。広陵では2年夏に背番号15で甲子園出場、3年選抜にも出場した。明大では1年秋からリーグ戦に登板。球種は直球、カーブ、スライダー、チェンジアップ、スプリット。好きな言葉は「ありがとう」。1メートル80、87キロ。左投げ左打ち。

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