中西太さんお別れの会 栗山英樹氏弔辞 天国の「おやっさん」へ誓い 次世代に教え伝える

[ 2023年11月4日 05:00 ]

弔辞を読む栗山英樹氏(撮影・成瀬 徹)
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 強打の内野手としてプロ野球・西鉄(現西武)の黄金期を支え、今年5月に他界した中西太さん(享年90)のお別れの会が3日、出身地の高松市内のホテルで開かれ、球界関係者や母校・高松一OBら約270人が出席。豪打から「怪童」の異名で愛され、指導者としても多くの名選手を育てた故人をしのんだ。

 会場には西鉄時代からの記念の品が並び、監督、コーチを務めた球団のユニホームも飾られた。その中の阪神とオリックスが今、日本シリーズで対戦中。熱血指導で知られた中西さんの教えは多くの野球人に受け継がれており、そのうちの一人である前侍ジャパン監督の栗山英樹氏(62)が弔辞を読んだ。「中西さん、いや、おやっさん」と呼びかけ、どんな選手にも変わらぬ愛情を注いだ恩師に感謝の思いを伝えた。

 ヤクルトにテスト入団した栗山氏にも技術だけでなく、人としての生き方まで教授。90年に現役引退したときは「誰がやめていいと言った!」とこっぴどく怒られた。「そこまで自分のことを思ってくれてるんだと涙が出た」と振り返る。尊敬する名将・三原脩氏の野球ノートは、義理の息子である中西さんから譲り受けた。今年3月のWBCでは、いろんな局面で「三原ノート」の教えに助けられて世界一に。「迷ったときに背中を押してもらった。その教えはこれからの野球界に必要なもの。中西さんから“みんなに伝えろ”と託されたんだと思っている」。そんな中西さんが体調が悪い中、WBC優勝を見届けて大喜びしたことを伝え聞き「見てもらえてよかった」と話した。

 栗山氏はお別れの会の前に、高松市内の中西さんのゆかりの地を巡り、改めてその功績を痛感。会場で池田豊人香川県知事と大西秀人高松市長へ「中西さんの銅像を建ててください」と直接、依頼した。偉大な野球人・中西太さんの功績は永遠に語り継がれ、教えは球界に生き続ける。


<栗山氏弔辞要旨>

 多くの先輩が野球界にある中、どうしてももう一度お礼が言いたく、ここに立たせていただくことお許しください。中西さん、いやおやっさん、私が初めてお会いしたのは、高校時代、理論派の監督が毎日打撃理論を語るのは中西太選手のインパクトの瞬間の写真でした。

 いかに理論的か理想的か、毎日おやっさんのフォームを見ていた。これが私の野球のベースなんです。

 そして驚いたことに、そのおやっさんからじかにヤクルト入団時、教えを乞うことになったのです。その感動は今でも忘れません。

 (中略)

 ここまで何とかしようする愛情は誰にも伝わり、選手の心に大きな火を付けてくれました。この愛情こそ、私の指導者としての全ての原点です。人を育てるためにこうあれ!と身をもって教えてもらいました。

 (中略)

 現在の野球の打つ技術の全てのベースはおやっさんです。それをもう一度基本から教えてもらおうと無謀にもあるとき、自宅を訪ねさせてもらいました。なんと言われるかドキドキしましたが、本当に丁寧に何時間も指導していただきました。その最後に、これを見てみい、親父のノートやと言って何冊かのノートを机に置いて下さった。これこそが、私の宝物、私が監督としてずっと学び続けた三原ノートになったのです。

 (中略)

 WBC直前の1月、電話をさせていただいたときも、体調が優れなかったはずですが、本当に元気な声で心配させまいというおやっさんの優しさをひたすら感じていました。そんな明るい声に必ずいい報告をする、大きな力を頂きました。

 (中略)

 最高の選手でありながら、これだけ多くの人をつくり、愛されたおやっさん。同じ時を生きることができたこと、これ以上幸せなことはありません。

 ここでさようならは言いません。これからもずっと話をさせてください。一緒に一人でも人が育つよう、全力疾走していきます。

 おやっさん!

 ありがとうございます。

 これからもどうか

 よろしくお願いいたします。

 令和5年11月3日

 栗山英樹


 <主な出席者>池田豊人(香川県知事)、大西秀人(高松市長) 栗山英樹、金村義明(元近鉄)、山口冨士雄(元阪急)、田中調(元東映)、島谷金二(元中日)、浜村孝(元西鉄)=敬称略、順不同=

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