【落合×広岡達朗対談】広岡氏の戦争と原爆の記憶「黒い雨」「人影が焼き付いてる」「空真っ黒」

[ 2023年10月27日 17:35 ]

落合博満のオレ流チャンネルの「博満の部屋」で対談する広岡達朗氏(左)と落合博満氏(右) 
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(69)が27日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。大好評対談企画「博満の部屋」の第4回目として、現役時代は巨人の遊撃手として活躍、監督としてヤクルト、西武をそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗氏(91)をゲストに招いて対談を行った。

 1932年(昭7)2月9日生まれで91歳の広岡氏は、広島県呉市出身で第二次世界大戦を経験している。

 戦時中は「配給制だから贅沢は一切できない。ほいで今みたいに、おいしい辛いってそういうもんはない!」と振り返りつつ、配給に対して「感謝の気持ちが強かった」。

 続けて「親父が海軍だから、どっちかいうと裕福な方」だったという中、「中学2年生で原爆にあった」と語り始めた。

 呉にいた広岡氏は「広島で(原爆が)落ちて、ぶゅわぁぁっ~と、すごかったよ。あそこ(呉)は海辺で山があったからまだ助かったけどね。黒い雨。(自身の体にも)当たったもん、どうもないけどね。“雨が降ってきた!”って黒い雨。ほいで、校舎に入ったもん」と貴重な実体験を明かした。

 落合氏が「校舎は焼けてなかったんですか?」と質問すると「焼けてない。うちは焼けなかった…校舎は焼けなかった」「ほいだらね 大八車で呉の工場に部品をもらいに行ったもん。あの頃、戦艦大和、れから伊号(いごう)潜水艦、あれも呉のドックで(修理・製造を)やったんだもん。その艦長がうちの前に住んでた…思い出がたくさんあるよ。それ聞かないもん。(原爆体験した自身が)生きてるのにね」と貴重な経験を語りつつ、戦争を知る一人として、当時の悲惨な状況や経験を伝えること、そして聞くことの重要性を説いた。

 「放射能が“びゃーーー”っといくんですよ。ほんで、そこに屋根に“びゃーーー”っといったところだけみんな傷んでる。放射能、ほいから街ん中に人影が焼き付いてる。ほいだら僕らが広島商と対外試合やる時に本当にね“はあ、凄いな”と思ったもん。いや、もう(実体験は)貴重なんですよ」「呉は軍港だから船が入るとこ。艦載機が来るんだよ、アメリカ。ほいだら高射砲を“バァァァッ”と撃つ。空真っ黒。ほいでも、(米軍機が)堕ちたの見たことない」などと体験談をしみじみと語った。それを真剣な表情で聞いていた落合氏も「もっと上を飛んでるんですよね。高射砲の距離があって、その上を飛んでくるから弾は当たらないんですよね」と広島の空を飛び回った米軍機や真っ黒な空を想像し、思いを巡らせていた。

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