【DeNA・藤田一也 独占手記】運命の“青い糸”に導かれ横浜入団 三浦監督胴上げのために死力を尽くす

[ 2023年9月28日 05:00 ]

セ・リーグ   DeNA3-11ヤクルト ( 2023年9月27日    横浜 )

<D・ヤ>胴上げされるDeNA・藤田(撮影・島崎 忠彦)
Photo By スポニチ

 DeNAは27日、ヤクルト戦後に今季限りで現役を引退する藤田一也内野手(41)の引退セレモニーを実施。同内野手は本紙に独占手記を寄せ、引退決断に至る経緯や楽天時代の恩師でもある星野仙一監督(18年1月に70歳で死去)についてなど思い出の数々を記した。引き分け以上でCS進出が決まっていた試合は3―11で敗れ、進出決定は29日以降に持ち越しとなった。

 まず、ここまで素晴らしいセレモニーを用意してくれたこと、携わっていただいた全ての関係者の方々に感謝します。

 自分は脇役だと思って19年間、プレーしてきました。まずは守備、そして犠打、進塁打など。代走以外は何でもこなすつもりでやってきました。でも、こだわりを強く持っている二遊間の守備が、自分はもうできません。4月下旬のランニング中に右ふくらはぎを痛め、動けなくなってしまった。一歩目の打球判断ができても、今まで捕れた打球が捕れない。本当は昨年限りで引退のつもりが、CS敗退時に併殺打で最後の打者になった悔しさもあり、今年も現役を続行しました。でも、もう潮時です。今季中盤には引退を決意しました。

 振り返ると小学1年生のとき少年野球「里浦スターズ(徳島県)」で野球を始め、プロもベイスターズに入団。ともにユニホームは青が基調で「スターズ」です。僕の野球人生は“青い糸”でベイスターズに導かれていたんです。自分の野球人生は6―4―3のゲッツーで始まりました。小学1年ながらAチームの試合に人数不足で遊撃手で出場した。初めて飛んできた打球を遊ゴロ併殺にしたんです。1年生で試合の「ファインプレー賞」ももらって。今でも、その瞬間をはっきり覚えています。

 つらいことの方が多かった現役生活。2人の子供たちの支えがなければ続けられませんでした。7月3日、現役最後の41歳の誕生日。長女と長男が私生活用のソックスをプレゼントしてくれた。数日後、代打で安打を打った際はソックスの写真を撮影し「2人のおかげだ」と送りました。今年頑張れた、モチベーションにもなりました。

 13年にリーグ優勝、日本一も経験できた(楽天)イーグルスでは、星野監督にお世話になりました。“迷ったら前に出ろ”。この言葉は自分の支えになりました。優勝時の東北の盛り上がりは凄かった。オフに東北を訪れ、感謝の形を示すつもりです。東北の皆さん、本当にありがとうございました。

 大好きなベイスターズでユニホームを脱げます。でも、まだ戦いは続きます。三浦監督を最後に胴上げする。そのために、藤田一也は死力を尽くします。(横浜DeNAベイスターズ内野手)

 ◇藤田 一也(ふじた・かずや)1982年(昭57)7月3日生まれ、徳島県出身の41歳。鳴門一(現鳴門渦潮)から近大を経て04年ドラフト4巡目で横浜(現DeNA)に入団。12年途中にトレードで楽天に移籍し、13年は正二塁手で球団初のリーグ優勝&日本一に貢献。22年にDeNAに復帰した。ここまでの通算成績は1460試合で打率.268、24本塁打、327打点、37盗塁。1メートル75、77キロ。右投げ左打ち。

 ≪4年ぶり遊撃守備&涙の右飛 背番と同じ23回舞った≫藤田は9回に守備機会こそなかったが、愛着のある遊撃を守った。楽天時代の19年以来4年ぶりで三浦監督の計らいで実現。直後の攻撃では1死一塁で涙を流しながら打席へ。右飛に倒れたが、大歓声を浴びた。試合後の引退セレモニーでは「ベイスターズのユニホームを着て引退できること、こんなに幸せなことはありません」と再び涙。場内1周後に、ナインに背番号と同じ23回も胴上げされた。進出する可能性が高いCSではベンチ入りし、三浦監督は「一日でも長く藤田とやっていきたい」と戦力として期待を寄せた。

続きを表示

この記事のフォト

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2023年9月28日のニュース