【内田雅也の追球】判定に不満を抱いた夜は……ルーキー伊藤将と佐藤輝に潜むベテラン

[ 2021年5月30日 08:00 ]

交流戦   阪神0ー1西武 ( 2021年5月29日    メットライフD )

<西・神(2)>6回2死、2者連続の四球を与えたところで降板となる阪神・伊藤将(中央)(撮影・坂田 高浩)
Photo By スポニチ

 アメリカの野球中継のアナウンサーが言った。「球場にくる人たちの中でアンパイアを野次(やじ)らず応援するのはコミッショナーとリーグ会長だけだ」

 ドラフト会議での司会を務めるなどパ・リーグの名物広報部長だった伊東一雄、野球記者からプロ野球コミッショナー事務局(NPB)に転じた馬立勝、大リーグ通2人による名著『野球は言葉のスポーツ』(中公文庫)にある。

 つまり、機構や連盟以外の人たちは誰もが審判員を野次るわけだ。観客はもちろん、規則では禁じられている選手も監督も聞こえないように野次っている。

 阪神の敗戦はリプレー検証のアウト判定で決まった。9回表2死二塁、左邪飛をネットに当たったと見た監督・矢野燿大はリクエストしたが判定は覆らなかった。試合後も審判団としばし話していたのは、よほどの無念さからだろうか。悔しさ募る0―1敗戦は3月30日の広島戦(マツダスタジアム)以来、今季2度目だった。

 ひょっとすれば、試合中から判定への疑問や不満が募っていたのかもしれない。ツイッターには、阪神ファンから伊藤将司のボール判定や9回表、佐藤輝明の初球ストライク判定への不満をあわらすツイートが相次いでいた。ファンは野次る。ファンだから当然の行為だろう。

 確かに、伊藤将が与えた四球5個はプロ6試合目で最多だった。際どいボール判定も幾度もあった。それでも伊藤将はマウンド上、不満な態度を示したり、表情を変えたりすることはなかった。

 最後の佐藤輝も見逃した後、ストライク判定に「え?」と球審に目をやったが、すぐ思い直し「うんうん」と、自分に言い聞かせるようにうなずいていた。

 後に40歳でタイトルを獲り「不惑の本塁打王」と呼ばれた門田博光(当時南海)は試合前の準備として、球審の判定傾向を頭に入れて試合に臨んだ。「どういう球をストライクにとり、どういう球をボールに判定するか……頭の中で整理がついている」

 山際淳司の『ベースボール・スケッチブック』(講談社文庫)にある。門田37歳のころだ。準備不足だと「なぜ、今のがストライクなのかといちいちハラを立てなければならない」。そんな風に判定に不満を抱けば「自らバッティングをくずしてしまう」からだ。

 この冷静さを投打の新人たちはすでに兼ね備えていたと言える。ルーキーのなかにベテランが潜んでいた。

 実は矢野も分かっている。愛読するアドラー心理学に自分で制御できないこと(判定)に固執しても意味がないとある。

 異例の試合後抗議は自身や選手たちの心を落ち着かせる意味合いもあったのではないか。ならば、ひと晩寝れば、もう忘れているだろう。いや、忘れているべきだ。そして、忘れるために抗議に行ったのではないか。

 矢野は捕手だった現役時代、敗れた試合を引きずらなかった。引退直後に出した著書『考える虎』(ベースボール・マガジン新書)にある。<着替えをすませ、帰りの車に乗り込むときには、もう気持ちは明日へと向かっていました><負けたときはもちろん反省して、次に投げるピッチャーに迷惑をかけることができないので、早く寝て切り換えるようにしていました>。

 この日は先に引用した山際の忌日だった。1995年、46歳の若さで逝った。ノンフィクション作家として題材に選んだのは野球やスポーツで、描いたのは人間だった。審判員も監督も選手もファンも……皆、人間である。 =敬称略= (編集委員)

続きを表示

2021年5月30日のニュース