桑田真澄という男 腰低く人当たり優しい、そして頑固者で夢に貪欲

[ 2021年1月12日 05:32 ]

桑田真澄氏 巨人入閣、コーチとして投手陣強化へ

桑田真澄氏(右)とMatt親子
Photo By スポニチ

 若い野球ファンにとって、桑田真澄とはどんな存在だろうか。「Mattの父親」のイメージの方が強いかも知れない。自分は同時代にPL学園、巨人でのプレーを見た。同世代のスターである桑田さんは、夢に貪欲だった。そんな姿勢に野球の神様も味方をしたのだろう。そう思う。

 昨年12月、桑田さんに久しぶりに会う機会があった。ほんの短い時間の立ち話。「来年のキャンプはどうなりそう?」。新型コロナウイルスの感染拡大で球界も先行きは不透明。ただ、その時は野球評論家として巨人などの春季キャンプを訪問するのだろうと思い込んでいた。その古巣・巨人のユニホームを着ることになるとは…。常に桑田さんには驚かされてきた。

 寂しそうな背中を今でも覚えている。桑田さんにとって1軍での最後の登板。06年4月27日の広島戦は3回途中6失点KOだった。遠征を終えた帰路の広島空港。他の選手から一人離れ、ぽつんと座っている姿を見て思わず声を掛けてしまった。右足首を痛めていた。38歳のベテランで力の衰えも感じていた。「つらいよね…」。そんな言葉が脳裏に残る。桑田さんはその年限りで巨人のユニホームを脱いだ。退団の表明は球団ホームページ上にあった自身のコラムで。仰天させられた。

 腰が低く、人当たりも優しい。桑田さんが怒っているようなところも見たことがない。ただ、頑固だ。自身の信じた道は貫く。巨人退団後には、かつて夢に描いていた大リーグに挑戦した。07年6月、パイレーツの一員として当時日本選手では最年長の39歳でメジャーデビュー。それも舞台はヤンキースタジアムだった。夢は最高の形で実現した。

 現役引退後には、早大大学院に入学した。これも驚かされたことの一つだ。85年のドラフト会議。早大進学の方針を打ち出していた桑田さんは、巨人から1位指名を受けた。巨人入団を熱望していたPL学園の同期・清原和博さんは悔し涙を流し、桑田さんは密約説もささやかれて世間からは犯罪者のように扱われた。もちろん本人は密約など否定しているが、引退後にその早大キャンパスに足を踏み入れる日が来るとは。発想も、行動力もすごい。自身の心の声に素直に従って生きてきた人だと思う。

 現役引退後、スポニチ紙面で独占手記をお願いした。背番号と同じ全18回。タイトルは「野球の神様、ありがとう」だった。いつかは指導者としてグラウンドに――。連載の最終回は「野球の修行はまだまだこれから」との言葉で締めた。その後、他球団からコーチなどのオファーはもちろん、あった。ただ、桑田さんはやっぱり巨人のユニホームを着たかったのだと思う。その日がついにやってくる。(鈴木 勝巳)

続きを表示

2021年1月12日のニュース