ドカベン山田太郎に「4番」を学んだ!清原氏 水島新司氏の引退惜しむ「野球界にはあなたが必要」

[ 2020年12月2日 05:30 ]

水島新司氏の代表作「ドカベン」の登場人物。中央が山田太郎(C)水島新司
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 人気漫画「ドカベン」や「あぶさん」などの作品で知られる漫画家の水島新司氏(81)が1日付で引退すると同日、発表した。野球漫画の第一人者として活躍し、球界にも人脈が多い。「ドカベン プロ野球編」連載開始のきっかけをつくった元プロ野球選手の清原和博氏(53)がスポニチ本紙の取材に応じ「引退しないでください。今のプロ野球界にはあなたが必要です」と訴えた。

 多くの野球少年に夢を与えた水島氏。清原氏も例外ではなかった。小学3年の時に岸和田リトルリーグに入団。その頃から「ドカベン」が連載されていた「週刊少年チャンピオン」を愛読。「漫画を読むタイプではなかったんですが、毎週楽しみでした。たくさんのキャラクターに夢をもらいました」

 登場人物の岩鬼正美のまねをして草をくわえて歩いたり、殿馬一人の秘打“グリップ打ち”を練習したり。「グリップ打ちは殿馬みたいにうまくバックスピンがかからなかったけどね」と笑う。

 野球が上達するにつれて驚かされたのは、水島氏の野球への理解の深さ。主人公の山田太郎から理想の4番像を学んだ。

 「相手の決め球を待って打ち返す」「ケガに強い」「野球だけでなく人に対しても優しい」。自身も甲子園の最強4番打者として活躍していたPL学園3年時「山田太郎に負けない4番になりたい」と目標を掲げた。「山田はいつも4番の責任を果たしていた。自分のプロ野球人生でも、たくさんの名投手と対戦してきたな」。数々のライバルと名勝負を繰り広げた山田の姿に自身を重ね合わせた。

 「ドカベン」「大甲子園」と経て高校野球の物語は1987年に終了。清原氏はプロ入り後、水島氏に「ドカベン」の再連載を直談判した。「ドカベンたちのその後の活躍が見たい」との思いに水島氏が応え、95年から「プロ野球編」がスタート。「西武球場で冗談っぽく言ったことが実現するなんて…。夢がありますよね」と振り返った。

 作中には自身も登場。西武に入団した山田と共演した。実際の球界の動きと漫画はリンクし、清原氏が西武から巨人に移籍する際に真っ先に報告した相手は山田だった。「先生とは球場で何度もお話ししていましたが、僕の性格を本当に深く理解してくださっていた」と感謝した。

 かつてに比べ、個性派や型破りな選手が減ったと言われるプロ野球界。清原氏は「今だからこそドカベンのキャラクターたちが必要」と強調。「これから野球選手を目指す子供たちこそ『ドカベン』を読んでほしい」と願った。 (吉澤 塁)

 ◆水島新司(みずしま・しんじ)1939年(昭14)4月10日生まれ、新潟市出身の81歳。58年、大阪の貸本漫画出版社の新人コンクールに「深夜の客」で特別入賞してデビュー。64年上京。70年「男どアホウ甲子園」の大ヒットで人気作家に。72年に週刊少年チャンピオン(秋田書店)で「ドカベン」、73年にビッグコミックオリジナル(小学館)で「あぶさん」を開始し、ともに40年を超える長期連載。「野球狂の詩」で講談社出版文化賞、「男どアホウ甲子園」「あぶさん」などで小学館漫画賞を受賞。2005年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章を受けた。

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