“ミラクル・メッツ”の象徴 トム・シーバー氏が死去 75歳 新型コロナも影響

[ 2020年9月3日 12:07 ]

1973年、メッツ時代のシーバー氏(AP)
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 大リーグ・メッツの元エース、トム・シーバー氏が8月31日に死去していたことが2日のメッツ対オリオールズ戦終了後に明らかにされた。75歳だった。同氏は1991年と2012年に感染症のライム病にかかり、その後、顔面麻痺(ベル麻痺)との闘病ののち、2019年にはレビー小体型認知症と診断されていることを家族が公表していた。

 カリフォルニア州北部のカリストガ在住。新型コロナウイルスにも感染しており、死因は認知症との合併症とされている。

 シーバー氏は南カリフォルニア大在籍時の1966年にブレーブスにドラフトで指名されたが、同年にすでに南かリフォルニア大のプレシーズン・ゲームに出場しており、これがルールに抵触して入団が認められなかった。やむなくウィリアム・エッカート・コミッショナー(当時)はブレーブスが保証した5万1500ドルの契約金と同等の金額を提示できる球団を対象にした救済のための特別ドラフトを実施。抽せんでは帽子の中に入ったインディアンズ、フィリーズなど3球団の中からメッツを引いて、ようやく大物新人の入団先が決まった。

 その後、背番号41の右腕はメッツで大活躍。1967年には16勝13敗で新人王に輝いた。メッツはエクスパンションで誕生した1962年から負け越してばかりいたが、1969年のワールドシリーズではシーバーの活躍もあってオリオールズを4勝1敗で下して初優勝を飾り、その快進撃は“ミラクル・メッツ”と形容された。

 シーバー氏は1977年までメッツに在籍し、ナ・リーグのサイ・ヤング賞を3回受賞。メジャーでは1978年の日米野球で来日したレッズやホワイトソックスなどを含めて計20シーズン在籍し、通算311勝(歴代18位)205敗、防御率2・86、3640奪三振(歴代6位)という成績を残し、完封は61回、20勝以上は5回を数えた。

 ユニフォームの右膝が常に土にまみれるダイナミックな投法で時代を駆け抜け、現役時代からポストシーズンではテレビ局のコメンテーターを務めるなどメディアにも絶大な人気を誇ったメッツの元大黒柱。1992年に殿堂入りを果たしたが、430人中425人の支持を得ての“勲章”で、98・8%の投票率は当時としては史上最高だった。

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