虎番記者が見た球児引退劇の裏側…18年で初めて聞いた「後悔はない」という言葉

[ 2020年9月1日 05:45 ]

阪神・藤川球児、今季限りで引退発表 ( 2020年8月31日 )

2000年3月31日、横浜戦の3回にプロ初登板を果たした阪神・藤川
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 この日も球児は、いつもと変わらぬ日常を過ごしていた。愛する家族と一緒に“明日”に備えるための大切な充電時間。球団が今季限りでの現役引退を発表した日も、騒がしい周囲とは裏腹に、本人はこれまでと同じ休日を送っていた。この行動が突然の引退劇でなかったことを裏付ける一つでもあった。

 近年は常に「引退」の二文字と隣り合わせの日々だった。「マウンドで肘や肩がいつ壊れてもいい。そのときはユニホームを脱ぐだけだからね」。何度も、この言葉を直接聞いた。人一倍の責任感と覚悟を持って戦っていた。会見で谷本球団本部長も明かしたように昨年も球団に引退の意向を伝えたことは、知っていた。

 「ご飯いかない?」

 連絡があったのはくしくも1年前の8月末だった。事前の誘いに胸騒ぎしたことを覚えている。こちらも覚悟を決めて向かった9月4日の食事会では真剣な顔つきで「今年で辞める覚悟はできている」と言い切った。その強い意思にはうなずくだけだったが、この時は「絶対に球児は辞めない」と直感した。

 理由は一つ。「矢野監督のために…」。引退に揺れ動く複雑な胸中を隠すことはなかったが、会話の端々に「矢野監督」の名前が出てきた。長年、バッテリーを組んだ間柄。苦楽を共にしてきた先輩が監督に就任したことで、グラウンド内外で支える強い気持ちが最後は上回った。

 コロナ禍で調整が困難な状況ながら今年も当然気持ちは同じだった。開幕前から腰痛を抱え、7月は肩痛で離脱。この時までは「すぐに戻るよ」と前向きだった。満身創痍(そうい)の中でも守護神として結果だけを追い求めたが、肩だけでなく過去にメスを入れた右肘も含めた腕全体の状態が悪化。もう気持ちだけではどうにもならなかった。2度目の抹消となった8月13日頃には引退を決断していたはずだ。

 「いつも全力でやっているから後悔はないよ」

 今年で18年となる取材の中で、初めて「後悔はない」という言葉を直接聞いた。確かに体は悲鳴をあげて限界だった。8月20日前後には球団に意思を伝え、前夜には親しい知人やお世話になった人らに電話で報告した。

 ただ、残りのシーズンも当然、戦う。「いつ肘や肩が壊れてもいい」の言葉に偽りはない。それが「今日限り」ではなく「今季限り」での引退という決断だった。マウンドで腕が折れる可能性があってもチームやファンのために投げて結果を出す。それが決断後も“明日”を見据える阪神タイガース・藤川球児の生き様だ。(阪神担当キャップ・山本 浩之)

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