【藤川と一問一答(3)】代名詞の“火の玉”「簡単に三振取れるしなんだこれはと。人格形成されそうに」

[ 2020年9月1日 16:14 ]

引退会見で笑顔の藤川(撮影・大森 寛明)
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  8月31日に今季限りでの現役引退を球団が発表した藤川球児投手(40)が1日、兵庫県西宮市内で会見にのぞんだ。以下は一問一答((2)から続く)。

 ――甲子園のマウンド
 球児って名前で育ったので、非常におこがましい話になりますけど、日本で何人、球児という名前がいるか分からないですけど、自分にとっては母親みたいな存在じゃないですか。

 ――先発、中継ぎ、抑え経験。9回のマウンドは特別だった
 自分だけが特別と感じるのは失礼だし。家族の、スタンドにいるファンの、僕が生まれるずっと前から阪神ファンの人のためにやるべきことだった。そこはプライドがあった。自分たちが楽しむ発想もあるかもしれないけど、終わった後に楽しむ、自分たちは。やってる間は相手を倒すことで、自分たちの家族、ファン、ものすごい数ですから。そこは応援一生懸命やってるライトスタンドの人たちにも本当に頭が下がるし。自分たちが楽しむのは…辞めた後に楽しみますね。

 ――1軍は後半戦、どんなシーズンに
 いつも最後だと思っていたので、全く悔いはないんですけど。精一杯やります。だけれど、選手たちに言いたいのは、辞めていく選手に負けるなと。俺に負けてるようじゃだめですよ。巨人に勝てないです。僕はそれを願います。譲ろうとしてるんですから。

 ――リーグ優勝、日本一のマウンドにいてほしいファンもいる
 ありがたいですね。だけど、勝負に勝つのはそんなに甘くない。勝つためには、いまある戦力をどれだけ使って、監督が自由に立ちふるまって。戦国時代が好きなので、僕は途中で倒れるかもしれないけど、そういう先輩いっぱい見てきたんで。(涙を流す)誰かがやってくれるし。その誰かがみんな俺やと思えばいい。タイガースのユニホーム着てる時点でもう人はないんです。誰でもいいんです。

 ――日米通算250セーブは
 周りの方たくさん言ってくれるんですけど、本当に建前なしに言わせてもらうと考えたことないです。もっと大きな財産いただいたので。達成された方、目指してる方、選手は僕には手の届かない大きな存在ですけど、その方たちとも十分に、先輩、後輩として仲良く話せますし。一緒にゴルフも行けますし。別にそれがあろうがなかろうが、何も変わらないんですよ。だけど、目指してる人もいて。それが生きがいだっていう人は素晴らしいと思う。僕はポジション的にたまたま、そういう風に重要に感じることができなかった。

 ――重要なことは
 タイガースが優勝することですよ。僕が入った時に3回優勝すると言って2回しか優勝してないんで。10年で2回…3回。22年で3回目のチャンスが来てるんですよ。別に自分がいようがいまいが関係ないんですよ。エキスは入ってますから。後輩たちがやってくれますし。僕は僕で、もう一発何とか。

 ――引退後のプランは
 まだやめときましょう。もちろん40歳になったらもちろん持ってますよ。今は毎日全力でやってきたんで、あと2カ月半、最後までやってみたいなと思ってるところです。

 ――ファンに一言
 この13連戦でタイガースがどう動いていくか、その間にジャイアンツとの4連戦。僕もね今、2軍、いや3軍か、にいるんですけど。今から甲子園球場に行って、まずきょうからのヤクルト戦もありますけど、気合で直してきますので。みんな頑張ってるけど、巨人を倒すためにはその頑張りも足りないかなと。1軍で戦ってる姿は本当に大変なんで。叱咤激励も大事ですけど、戦ってる4時間の間は尊敬してやって欲しいなと思います。

 ――野球少年たちも憧れの存在だった
 今時代が変わってしまってその役割は無いんですけど。今は中堅、30代、20代後半から結果が出てない選手たちの、やり返してやるぞという根性というのに自分がやってきたことは生きてくると思うんです。だけど、子どもたちに、それがプロになった時の憧れだったんですよね。自分たちが目指してきた選手のようにやりながら目指されたい。目指す選手はいない、目指される選手になりたい。まさかそんなことがあるはずないと思ってたけど。これは藤川球児という名前と、タイガースという親の支えとあとはここにいるメディアのみなさんがうまく報道してくれたからだと思います。

 ――一番の瞬間は
 一番…あんまり覚えてないかもしれないですね。前へ前へ、今より幸せになりたい、今より明日幸せになりたいというのが自分の人生のモットーになっているので。明日、もっと良い日になる気がして。明後日も。もしかしたら痛くなくなってるかもしれないし。そこまで考える。思い出は…あるけど、もっと良い思い出が出てくるかもしれないのでやめときましょう。

 ――阪神タイガースとは
 どうなんでしょう。甲子園球場なら母親なら阪神タイガースは父親ですよ。一回、出て行きましたけどね。そんなもんでしょ、子どもって。

 ――ストレートへのこだわり
 自信がないと言えばウソになる時期はありました。簡単に三振取れるし、なんだこれはと。自分でもどうしてこんなことになってしまったんだろうと思う。それがだんだんこう、自分の生きていく指針にはなりましたけど。性格も含めてね。野球にどんどん成長させてもらえて、ストレートに人格が形成されそうになってきてましたけど。最近、変化球も覚えてきたんで(笑い)。人間的にも、それだけじゃだめだなと。野球と同じように。つながりますよね、人生と。だけど、脇目もふらず頑張れたのはそのボールがあったので。自分にも良い青春だったと思いますね。

 ――引退の要因もストレート
 それは実はあったんですよね。コントロールがうまくいかない。それが僕の中では確実に何かあるなと。体の状態で。だけど、戦うことを優先できるんで。僕なんかいつつぶれても良いんですよ。その日まで貢献できて、その代わりがいればチームも勝てる。だから止まることなく戦ってきたんですけど。コントロールが悪くなったのは体の不調と、体を扱えなくなってきた。いわゆる寿命じゃないですか。

 ――ストレートの質で引退を決めた
 いや、コントロールが悪いから。コントロールができないんですよ、本当に。だけど、やってやりますけどね、もうちょっと。もしかしたら良くなってるかもしれない。その可能性があるのが楽しみですから。この前1軍に上がった時はボール制御できなくて、その原因は体にありましたけど。まだやってる限りは可能性ありますから、自分自身との勝負ですよ。

 ――涙の理由は
 苦しいから。苦しかったことを克服できたことに感傷に浸りそうになった。でも、40歳でそんなん迎えても仕方ない。これからもっと先、野球選手が終わった時、どんな生活していくか。今より幸せになりたいので。感傷に浸ってる場合じゃないっていうのがあるから振り返りたくないっていうのがある。

 ――勝利に対する心境の変化は
 誰かがやってくれるより、誰でもいい。戦える人間なら。三国志とか、そういうもので自分は学ぶので。1人の力量でいくよりも、たくさんを束ねて。JFKじゃないけど、3本のいましたから。何でもかんでも自分でしようとせずに、1人でも強い選手。コーチの仕事でもあるんですけど、選手として自分の感じるところと、タイガースに貢献できるところと。1人でも多くファイターを作って立ち向かっていく。自分はだって、振り返ると昔みたいに怖い物なしで投げるっていうのができたのかなと。後輩というか、、能力ある選手たちですから、選手たちに何とかそうなってもらってファンの人を喜ばせて欲しい。だから自分だけではない。だから自分がいなくていい。

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