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恩師が語る千賀の育成法「エンジンは凄いけど車体は軽自動車だった」

WBC2次ラウンドF組   プエルトリコ3―1ドミニカ共和国 ( 2017年3月14日    米国・サンディエゴ )

<日本・イスラエル>日本先発・千賀
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 ソフトバンク・倉野信次1軍投手統括コーチ(42)は3軍投手コーチだった11年、育成1年目の千賀と出会った。どちらかと言えば「落ちこぼれ組」だった男が、6年後にはWBCで先発を務めるまでに成長。シンデレラボーイを育てたのは、長所を伸ばし続ける育成法だった。

 育成ドラフト4位の背番号128。11年に就任したばかりの倉野3軍投手コーチにとって千賀の才能は周囲と比べ、特別な輝きではなかった。「体の柔らかさや、肩の可動域は見るべきものはありました。ただ、正直、他の育成ルーキーの方が良く見えていた」

 4月には3軍練習でメニューの半分も走ることができず「気分が悪い」と離脱した。「軽いメニューなのにある意味、衝撃的でしたね(笑い)」。無名の愛知・蒲郡では高2まで膝痛を抱え、練習もできなかったのだから当たり前だが、前途多難だと誰もが思った。

 1年目の育成の方針は「良さを消さないこと」。千賀の場合は体の柔軟性を生かす体力、筋力、体幹に欠けていた。課題の制球には手を付けず、直球を生かす体力づくり。「強制的にやらせた。ブーブー言いながら、向上心だけはあった」。4カ月後の3軍の名古屋遠征で衝撃の姿に変身を遂げる。「(千賀の)地元だし“行ってこい”と送り出したら3者連続三振。鳥肌が立ちました」。高校で144キロだった直球は、1年目で最速152キロをはじき出した。

 3軍があったから誕生した選手であり、偶然、最適の師もそこにいた。「エンジンは凄いけど車体は軽自動車だった」と倉野コーチ。1軍へ舞台を移した師弟関係は継続中だ。「完成したとは思えないし、まだ、6、7割くらい」。師は残りの3、4割が加わった完成形に思いを巡らせる。

[ 2017年3月16日 08:40 ]

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