忘れられない06年横断幕…黒田「今度は自分がファンの気持ち動かす」

[ 2015年2月17日 06:23 ]

会見を終えた黒田はカープ女子にサインする

 ヤンキースからフリーエージェント(FA)となり、8年ぶりに広島に復帰した黒田博樹投手(40)が16日、広島市内のホテルで入団会見を行った。1年契約で年俸4億円プラス出来高払い。右腕はカープファンが残留を熱望した2006年秋の「感動の思い出」に言及。91年以来、24年ぶりのリーグ制覇でファンへの恩返しを誓った。07年まで背負った背番号 「15」でプロ19年目に臨む黒田は17日に沖縄入りし、18日から1軍キャンプに合流する。

 07年11月の涙の移籍会見から7年がたっても、熱が冷めることはなかった。午後1時、会見場に足を踏み入れた黒田は思わず目を疑った。ひな壇では金屏風(びょうぶ)のついたてが輝きを放ち、視線の先には40社、約150人の報道陣。「経験の中で一番多い。ドジャースやヤンキースでもない」。驚きの表情を浮かべながらも、一語一語をかみしめて率直な思いを口にした。

 「自分の決断は本当に良かったのか…と考えることもあった。広島に来てファンの方の声を聞き、これで良かったかな…という気持ちです」

 メジャー在籍7年間で通算79勝。残留すれば20億円前後を手にできたものの、「カープに帰るなら年齢的に今年しかない。最後の決断」として、約5分の1の年俸で復帰を決めた。

 込み上げてくるものは恩返しの気持ち、それだけだった。06年秋、初めてFA権を取得した右腕に、ファンは広島市民球場のスタンドに横断幕を掲げ移籍を引き留めた。その行動に感激し、残留を決断。翌年チームを離れたが感謝の思いは忘れていない。「06年にFA権を取った時、ファンの方に心を動かしてもらった。今度は逆に自分がファンの人たちの気持ちを動かすことができれば」

 名門のドジャース、ヤンキースを渡り歩く中で「応援してもらえるのは当たり前じゃない」と痛感した。古巣のファンは07年オフの移籍から7年間、復帰を待ちわびてくれた。最大の恩返しは何か。会見前には、松田元オーナーから掛けられた言葉に心を動かされた。「あいさつが終わって帰る時に、しっかり握手をして“優勝しよう”と言われた。胸が熱くなった」。悲願のリーグ制覇へ、思いは一致した。

 優勝に貢献するため、新たな切り札の習得にも取り組んでいる。07年までの在籍時はスライダー、フォーク、シュート主体。8年ぶりの日本復帰に向け、「十数年ぶりに投げる」というカーブを模索していることも明かした。

 野球人生の集大成ともいえる24年ぶりのV。高まる期待の中、「結構プレッシャーです」と笑うが、「ニューヨークとか大きなところで重圧を感じながらやってきた。それをはねのける自信というか、そういう気持ちでいる」と言い切った。会見後、会場の外に集まったファンのサインの求めに丁寧に応じた。「(広島に)帰ってきて良かったと思える野球人生にしたい」。そう話す40歳の表情は、どこまでも晴れやかだった。

 ◇06年10月16日の中日戦 広島・黒田は2点リードの9回2死から登板。FA行使なら「お別れ登板」となる可能性がある中、広島市民球場のスタンドには「我々は共に闘って来た 今までもこれからも…」などと書かれた巨大な横断幕が登場。14日の阪神戦に続き、ファンは背番号15の赤いボードを掲げ「カープのエース、黒田」の大合唱。黒田は「ああいう歓声の中でマウンドに上がれて幸せ」。同19日には、応援団の有志が残留を願う嘆願書を球団に提出。そして11月6日に残留会見を行った。

 ≪12球団最長ブランク…≫広島が最後にリーグ優勝を果たしたのは91年。以後、昨季まで23シーズン優勝から見放されている。現12球団ではオリックスの18シーズン、セではDeNAの16シーズンを上回る最長ブランク。また、広島のリーグ初優勝は球団創設26年目の75年。あと2シーズン優勝を逃すと25シーズン連続優勝なしの球団ワーストに並んでしまう。

 ◆黒田 博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日、大阪府生まれの40歳。上宮から専大に進み、96年ドラフト2位で広島に入団。97年4月25日の巨人戦で、プロ初登板初勝利を完投で手にした。広島では07年まで11年間プレーし、05年に最多勝、06年に最優秀防御率のタイトルを獲得。04年には日本代表としてアテネ五輪に出場した。オールスター出場4度。08年にドジャース移籍。12年からはヤンキースに所属した。1メートル85、93キロ、右投げ右打ち。

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