菅野 巨人ルーキー初の優勝先発勝ち「まだスタートしたばかり」

[ 2013年9月23日 06:00 ]

<巨・広>優勝を決めマウンドに走る菅野(中央)

セ・リーグ 巨人2-1広島

(9月22日 東京D)
 1年前の9月21日。巨人・菅野は神奈川県平塚市の東海大野球部の寮で巨人の優勝をテレビで見ていた。その時、この日を想像できただろうか。優勝会見。原監督、主将・阿部とともに選ばれたのは菅野だ。

 「なんだ、智之(菅野)か?出世したな」。伯父でもある指揮官にちゃかされながら席に着いた。うれしかった。

 「独特の雰囲気の中、これからの野球人生において忘れられない登板になった。その場にいるだけで幸せ。ましてや、その試合に投げさせてもらえたのは光栄と思ってかみしめました」

 初回を3者凡退に打ち取りベンチに戻ると、大型スクリーンに阪神戦の結果が映し出された。スタンドは大歓声。「逆に負けられないなという思いが、こみ上げてきた」。最速148キロの直球で押し、8回まで投げた。3安打1失点。内海と並ぶチームトップの13勝目で大役を全うした。

 1年間の浪人を経て夢だった巨人入り。ブランクを不安視する声も耳に届いたが「結果で示すしかない」と真摯(しんし)に向き合った。開幕から一度もローテーションを外れることなく内海、杉内と3本柱を担った。

 プロ入りを目指すきっかけは95年10月8日の原監督の引退試合となった広島戦(東京ドーム)。その試合で本塁打を放つ姿に、観戦した当時5歳の菅野少年は感激した。「自分もいつか…」。23歳となった右腕は同じ広島を倒し、自らの手で背番号88を宙に舞わせた。

 昨年が遠回りでなかったことを証明するためにも「1年目が全て」と繰り返した。野球中心の日々。お酒は登板2日前から、登板当日まで口にしない。試合後まで気を配るのは珍しいが「細かい血管が切れている。このおかげか分かりませんけど、状態はいいので続けています」と自制。右肩に負担をかけないように、食事の時は左手も使った。移動中の荷物は左手で持った。

 球団の新人投手が優勝決定日に白星を刻むのは55年の青木以来で、先発では初の快挙。原監督も「(菅野)智之が8回まで非常に良い投球をしてくれた。彼の中の大きな財産になる。素晴らしいエネルギーをチームに与え主力選手として戦ってくれた」と賛辞を並べた。

 「まだスタートしたばかり。これから先も強い巨人の一員でいられるようにこれからも頑張っていきたい」。寮のテレビで見た胴上げから1年。菅野は歓喜の輪の中心にいた。

 ≪63年ぶり2人目≫ルーキーの菅野(巨)が8回1失点で13勝目。2リーグ制後、新人投手が優勝決定日に勝利を挙げたのは巨人では55年に青木が救援勝利して以来2人目で、先発では初めて。他球団も含めると99年岩瀬(中=救援勝利)以来、先発に限れば50年榎原(毎日)以来63年ぶり2人目になる。

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