槙原寛己氏が直撃!原監督「巨人が1番。個人は2番」

[ 2013年9月23日 11:02 ]

槙原氏(左)とグータッチする原監督

 6度目のリーグ制覇。原監督は第1次政権での2年を含め、通算10年間で常勝軍団をつくり上げた。この10年の中で生え抜きの選手を育て、勝つために主力選手への送りバントも徹底させた。80年代の強かった巨人を取り戻し、さらなる進化。そこには恩師の故藤田元司元監督の野球も感じさせる。若大将から名将へ。原監督とともに戦ってきた巨人OBでスポニチ本紙評論家の槙原寛己氏(50)が指揮官の思いに迫る。

 槙原氏 リーグ連覇を果たした今季。長野の打順降格とか、阿部と村田の4番入れ替えなど動いた一年でした。

 原監督 僕は全く白紙の状態から新しいチームをつくるというスタイルで毎年、毎年来ている。率直に言うと、目が離せないチームでしたね。昨年のチームより素晴らしいチームだし、力はあると思っています。昨年のチームは洗練されていた。でも最初のスタートが良くなかった。良くなかっただけに、その部分を注意しながら、しかし結果的には馬なりというか、なり(選手に任せられる)の状態でゲームを運ぶことができ、試合を重ねるごとにチームが成長できた。でもこの13年のチームは戦い方が淡泊であったり、ここ一本が出ない。得点圏打率とか、そういうものが低かった。そういう点では、なりに任せるチームではない。さっき言った目が離せないというか、逆に言えば面白いチームでした。

 槙原氏 そういう意味ではやりがいがあった。

 原監督 なぜならそれぞれ力があるから。力がありながら、なりに任せられないチームだった。それが最初は長野であり、村田であり、そのへんをカバーしたのが勇人であり、慎之助であり。しかし、後半に来るとカバーが逆になった。村田が阿部のカバーをする、長野が勇人のカバーをするというかね。時に我々が監督、コーチ、戦略、用兵、打順においてもそう。その部分ではチームが滞っているな、という時にね、まあ、目が離せない。離してしまうとどっかにいっちゃう、そんなようなチームでしたね。一人一人のパフォーマンスはあるけれど、何よりもこのチームは、何が素晴らしいかというと、全員が自己犠牲、チームが1番、目的は勝つこと、ということに何の疑いも、何のためらいもない、誰一人そういう疑いのない、「巨人が1番。個人は2番」というものを持ったチームという印象ですね。

 槙原氏 特に原監督は中心選手に対してバサッといきます。中心選手にやることによってチームは引き締まる。

 原監督 ピリッとさせることは目的の二の次。やっぱり中心選手は働いてくれるかどうか。中心選手というのは、働いてくれるから中心選手だから。じゃあ、働くためには、いい成績を残すためにはということは、一番の僕の頭のど真ん中にあることだから。その時にカツを入れるのか、ナデナデしながら伝えるのかはそれは方法だよね。やっぱり中心選手というのはね、当然給料も高いわけだから、その中においてステージも高くないといけないわけだから。それは「甘ったれてんじゃねえぞ」と。言って一番伝えやすい、チームに浸透するのは中心選手に伝えることだよね。“バントやるよ”と言った時だって、こんなに点が入らないんだから、これはもうベンチワークで進めるんだからと言って、やるよと言って一番最初に(阿部)慎之助にバントのサインを出せば誰だってバントをやるようになる。それが中心選手。なに?ってなるよね。(村田)修一だって当然ね。失敗したら次の日、当然のように練習しているよね。 

 槙原氏 原監督の下で選手・原辰徳がいたらどうしますか。もちろん4番・サードで。

 原監督 4、5試合打たなかったら代えているだろうね。僕はムラッ気の多いバッターだったから刺激を与えられていた気がするね。アメとムチというものでは。この人の言っていることを聞いていたら、そんなに間違いはないなと思ってついていっているだろうね。

 槙原氏 藤田監督を尊敬し、参考にされていると思います。藤田監督が生きていらっしゃったら原監督に何とおっしゃると思いますか。

 原監督 藤田監督は凄く人を褒めて育てることができる方でした。その中においてピリッとしたことをね、苦言が必ず入っているという。そういう教育の仕方をされた方なので最初は褒めるでしょうね。おい、いい監督になったなと。まあいろいろ多分、選手起用の部分においてもね、若手がどんどん出てきて、生え抜き巨人軍という、まさにリトル巨人軍から、メジャー巨人軍になっていくというね、そういうものは褒めてくれると思う。しかし、何か言うと思う。絶対にね、もうひとつという足りない部分をね。それは何かは分からないけれど、自分もね、模索したいよね。

 槙原氏 今年で監督生活10年目、変わった部分はありますか。

 原監督 時というのはやっぱり人間が歩んでいく、成長していく上では必要だと思う。シーズンに入る前に毎年、だいたい1時間ぐらい選手の前で1月31日に全員に話をするんだけど、その内容も毎年変わっているものね。それは自分の中で書き留めている、手帳の中に書き留めている。全く否定的になったことはないんだけど、この時にはこういうふうに思っていたんだ、今現在はこう思っているとか、変わってきていますね。

 槙原氏 転機になったことは。

 原監督 02年、1回目の監督をやって日本一になった。しかし、03年に惨敗した。その中で監督を辞めた。その部分の経験というのは大きかったですね。その次に、どうなんだろうと思いながら2年後にね、役割が回ってきて。そのへんは一つの転機になったし、06年度、貯金14よ。前年度5位のチームだったんだよね。メンバーはほとんど変わっていないけど、貯金14あった。それがマイナス14になった。僕はこの28という数字は絶対に忘れないね。(※参照)28。年間28ってどれだけ負けたと思う。こんな弱いチームで野球をやったことがない。いろんな理由があるよ。でも現実としてそうなった。俺はもうこんなチームは絶対につくらないと思った。

 槙原氏 監督の現役時代、80年代には私も含めた50番トリオなど若い選手が伸び盛りだった。今のチームに同じような雰囲気はありますか。

 原監督 思った選手をドラフトで獲ってきて、こういう選手が欲しいんだ、補強ポイントですという中で、坂本であり、あるいは長野であり、大田、中井に対してもそうですね。そういう選手が育ってきていることは大きいですね。理想は1年目、2年目、ジャイアンツ球場で鍛えて、3、4年目くらいに1軍に来て戦える。そういうメンバー構成をしていくのが理想ですよ。今のところ、そういう形ができている、できつつあるけれども、簡単なものではない。

 ※巨人は06年、5月11日に貯金14としたが最終的に借金14で4位。65勝79敗2分け。

 槙原氏 菅野はこれくらいはやってくれると思っていたのか。実際に戦ってみて印象はどうでしたか。

 原監督 少年時代しか知らないもんね。高校時代、大学時代は数試合しか見にいっていない。まあ、スカウトからとか、それから父から聞いていたから、そこそこ力はあるんだなということを僕の中にはイメージが入った。しかし、これはただ単に聞いただけ。実際、見てね。2月の2日だったかな、初ブルペン。自分が思っていたよりもランクは高かったかな。

 槙原氏 ローテーションを外れずにやってくれた。

 原監督 コンディションを落とさずにね。やっぱり、プロ野球選手というのは、トータルでしっかり戦えるかというのが大事。その部分では合格点だったし、大きい存在でしたね。

 槙原氏 監督も後継者をと思っているでしょう。松井秀喜のことはどう思っていますか。

 原監督 自分の役割はやっぱり、藤田さん、王さん、長嶋さんにね、育てていただき、長嶋さんが監督の時にコーチという形で3年間、下においてもらって経験して、01年の終了の時点で長嶋さんからバトンを受けた。そして途中いろいろあったとしても10年目を終わろうとしている。僕の役割としては、チームを強くすること、勝つこと、これが目的です。しかし、どこかにつなげる。この自分の役割というものを与えてくださった先輩たち、そういう思いを自分も持ちつつ、後輩に伝えていく。つなげていく、というのはいつでも頭にあります。

 槙原氏 松井にも伝えていきたい。

 原監督 その第1候補である現状の中ね。ただ、監督というのは準備期間が必要だと思う。準備期間がないと強いチームはつくれないと思う。その中では彼が1年目、現役を終わってすぐ巨人軍の監督というバトンを渡すのはあまりにも無責任だと。そのへんも彼も球団も考えているだろうし、彼自身もやっぱり準備期間はある、勉強の時間が必要だと。そういうふうな時、時期があった時にどうするか。それが松井なのか誰なのかはよく分からないけど、自分の中ではつなげるという気持ちは常に強く持っている。ちゃんとつなげてあげないと。自分もつなげてもらってね、育んでいかないとね。そういうふうにしなければいけないと。それは僕の一つの役割だと思っています。

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