おかわり2戦連発 侍4番自覚打「自然に球が上がる」

[ 2012年3月14日 06:00 ]

<西・広>1回1死一、三塁、西武・中村が左越えに3ランを放つ

オープン戦 西武8-3広島

(3月13日 西武D)
 西武の中村剛也内野手(28)が13日の広島戦(西武ドーム)で初回に先制の左越え3ランを放った。オープン戦序盤の不振がウソのようだ。生涯初の日本代表に選ばれた10日の東日本大震災復興支援試合(東京ドーム)からチーム復帰以降、2試合連続アーチと目覚めた。来年のWBC日本代表でも4番が最有力視されるおかわり君は、今年も本塁打量産に死角が見当たらない。

 美しい放物線が復調の証だ。初回1死一、三塁。バリントンの140キロの直球を左翼席へ2試合連続アーチ。真ん中高めに入った初球の失投を見逃さなかった。「前はなかなか打球に角度がなかったけど、つくようになった。自然に球が上がっている」と納得の表情だった。

 球界の4番として臨んだ復興支援試合。生涯初の日本代表へ特別な思いがあった。7日の楽天戦(明石)で守備の際に一塁走者の嶋と交錯して左足首を負傷。だが、辞退の2文字は頭をよぎらなかった。「野球をやっている以上、代表に入りたかった。そういう緊張感の中でやらないと分からないこともある」。初回に左前適時打を放つなど指名打者でフル出場。他の選手が次々と途中交代する中、最後まで出たのは代表の顔としての自覚だ。「これからも代表に選ばれるよう活躍したい」。新たなモチベーションが増えた。

 そして、その試合が上昇気流に乗る分岐点になった。以前のオープン戦3試合は本塁打、打点ともにゼロ。日本代表から復帰した11日のDeNA戦(横浜)で、東日本大震災の発生時刻に合わせた黙とう直後の初球を左翼席に叩き込むと、2試合で2アーチを含む6打数3安打。渡辺監督も「サンペー(中村)?日本代表に行く前は良くなかったんだけどね。角度が上がるのは調子の良いバロメーターだよ」と目を細めた。

 オフのラジオ番組で野球談議を交わした昨季の首位打者・内川が、「おかわりくんの打球だけは高々と上がってから落ちずにフェンスを越える。あれは左翼で守っててびっくりした」と一目置いていた。今年から日本野球規則委員会の決定で、バットの最大直径の規定が7センチから6・6センチに変更。中村も昨季まで使っていた6・77センチからヘッド部分を削り、重さを調整した。この日使った920グラムから最も重い950グラムまで4種類のバットを自主トレから使い分けていたが、「形は一緒だから。その日の体調によって使い分けるかもしれない」と連日のアーチ。道具を替えても体は飛ばし方を覚えている。

 ★復興支援試合(10日 東京ドーム) 1点を追う初回に中村、中島の西武コンビによる適時打で逆転し、3回には広島・栗原の2ラン。6回には1死満塁から日本ハム・中田が2点適時打を放つなど、台湾代表を9―2と圧倒した。この試合の収益金の一部が東日本大震災の義援金に充てられるほか、選手が着用したユニホームはインターネットオークションにかけられ(詳細はNPBホームページ)、その売上金は全額寄付される。

 ≪過去の日本代表4番≫

 ◆04年アテネ五輪城島(ダイエー)チームを離れるまでのシーズン98試合で打率・343、33本塁打の大当たり。五輪でも・378の猛打を見せ、カナダとの3位決定戦では決勝弾。銅メダルに貢献した。

 ◆06年WBC松中(ソフトバンク)04年に史上7人目の3冠王となり、05年も本塁打、打点の2冠に輝いた。絶頂期で迎えたWBCは4番として打率・433。決勝・キューバ戦でも3安打とチャンスメークしVに貢献した。

 ◆08年北京五輪新井(阪神)大会前からの腰の疲労骨折を隠し奮闘。チームトップタイの7打点をマークしたがチームは4位に終わりメダルを逃した。

 ◆09年WBC村田(横浜)07、08年と本塁打王に輝き、WBCではチーム最多の4試合で4番。いずれも代表中最多となる2本塁打、7打点で連覇に貢献した。

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2012年3月14日のニュース