パラリンピック正式競技入りへの「第一歩」障がい者レスラー谷津嘉章がエキシビションマッチ

[ 2025年9月2日 16:15 ]

障がい者レスリングのエキシビションマッチを行う谷津嘉章(上)と中西茂登樹さん
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 8月30、31日に三重県四日市市で行われたレスリングの「第1回藤波朱理杯三重県少年少女レスリング大会」の開会式があった30日、関係者が「第一歩」と口を揃えるエキシビションマッチが行われた。

 対戦したのは76年モントリオール、80年モスクワ両五輪代表(モスクワ大会は日本がボイコット)で、プロレスラーとしても活躍した谷津嘉章と、中西茂登樹さん。谷津は右下肢欠損、中西さんは右上肢欠損という、異なるハンデを持つ者同士の戦いだった。

 アマチュアのマットでは五輪金メダル候補に挙がり、プロではジャンボ鶴田との“五輪コンビ”で一世を風靡(ふうび)した谷津が、右下肢切断の手術を受けたのは19年6月。糖尿病の影響で壊疽(えそ)し、大きな決断を下さざるを得なかった。

 当初は失意にさいなまれたが、立ち上がるのも早かった。21年に義足を付けて東京五輪の聖火ランナーを務めると、23年には日本障がい者レスリング連盟を設立。同年7月には全日本社会人選手権のフリースタイル125キロ級で、実に37年ぶりとなるアマチュア公式戦のマットにも立った。

 今、谷津が目指すのは、障がい者レスリングをパラリンピックの実施競技にすること。「柔道は視覚障害者柔道があるが、義足では(競技を)できない。でもレスリングは(装具を取れば)できる」。そのために異なるハンデを持つ者が対戦するためのルールや、ポイントの傾斜配分方法を研究。エキシビションマッチでは障がいの種類によってエリアに差を付けるため、同心円が描かれた特注のマットも用意された。

 試合は藤波の父・俊一コーチの若かりし頃の教え子であり、20歳の頃に仕事中の不慮の事故で右上肢を失った中西さんが6―4で勝利。スタンドでは自由に動き回れる中西さんが翻弄(ほんろう)し、グラウンドでは体重が倍以上もある谷津が圧を掛けた。他のパラスポーツでは障がいの種類や重さでのクラス分けが当たり前なだけに、クラス分けがないことは画期的だった。谷津も「上肢欠損の人と、片足切断の人がやれるというビジュアルが重要だった」と強調した。

 第一歩となったエキシビションマッチを、今後どう発展させていくか。「急にはできない。一つのプロセスを作らないといけない。本(ルールブック)を作らないと。まだ原型。これから色んなことをやって、円熟していく。頑張ります」。現在69歳の谷津自身が、パラリンピックの舞台に立つことは、おそらく本人も想像していないだろう。それでも健常者アスリートとして大きな足跡を残し、障がい者となった今は、後進たちに希望の光をつくろうと、粉骨砕身の活動を続けている。

 谷津は言う。「(障がいは)生まれつきの人もいるが、何かの原因でつらい思いをして、それに立ち向かって、打ち勝って、社会復帰する人が多い。それが障がい者の一つの自信になればいいと思う」。藤波朱理も見守った歴史的な一戦から、パラリンピックを目指す旅路が始まった。

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