元幕内・鏡桜引退会見 両膝のケガから復活期すも「治らなかったので」決断 今後も日本で生活する予定

[ 2023年4月3日 16:09 ]

引退会見を行った元幕内・鏡桜(左)と鏡山親方(撮影・前川 晋作)
Photo By スポニチ

 春場所限りで現役引退を発表した大相撲の元幕内・鏡桜(35=伊勢ノ海部屋)が3日、東京・両国国技館内で会見を行った。

 十両だった16年夏場所で右膝を負傷し、その後4年以上は両膝のケガと闘いながらの幕下生活が続いていた。三段目の土俵に上がった20年11月場所を最後に2年半休場が続き、春場所千秋楽に引退を発表。「もう一回土俵へという気持ちもあったけどケガが治らなかったので、親方や病院の先生と相談してこういう結論になりました」と経緯を説明した。

 鏡桜の入門時の師匠である鏡山親方(元関脇・多賀竜)は「現師匠ではないけど、彼の相撲人生はほぼ私が師匠だったので最後の責任として」と会見に同席。鏡山部屋は閉鎖する21年7月まで約13年間も所属力士が鏡桜と同親方の長男・竜勢(36=伊勢ノ海部屋、現幕下)の2人だけ。「弟子には申し訳ないと思うけど、劣悪な環境の中で工夫しながら努力してくれた。一生懸命頑張ったと思います」と労をねぎらった。それに対し鏡桜は「出稽古は行きたいところへ行かせてもらった。感謝しています」と話した。

 20年間の土俵人生を終え「こういう形で引退できたことを誇りに思っています。本当に良い相撲人生だったなと思っています」と感慨を込めた。思い出の一番は、新十両昇進を決めた12年九州場所の益荒海戦。「今までやってきたことを全部ぶつけようと思っていたので印象に残っています」と振り返った。14年夏場所では、4人による十両優勝決定戦の決勝に進出し、当時新十両だった逸ノ城に敗れた。その時に審判部長として各段優勝力士の表彰を行ったのは鏡山親方。弟子の惜敗を目の前で見届け「勝った方の表彰状を読むのが一番つらかった」と懐古した。

 モンゴル出身の鏡桜は引退を発表する直前の3月15日付で日本国籍を取得。しこ名と同じ「鏡桜 秀興(かがみおう・ひでおき)」を日本名とした。「15歳から来て日本の方が長い。子供たちも日本で生まれているし日本になじんでいるので、家族と相談してこれからも日本で生活したいという結論になりました」。今後は日本相撲協会には残らず、第二の人生を歩み出す。具体的な予定については「ゆっくり休んでから、いろいろできたら」と明言せず「相撲部屋で学んだ、礼に始まり礼に終わることや感謝の気持ちを持って、親方の教えを守ってやっていきたい」と話した。

 ◇鏡桜 秀興(かがみおう・ひでおき)出生名=バットフー・ナンジッダ。1988年(昭63)2月9日生まれ、モンゴル・オボルハンガイ出身の35歳。15歳で来日し、鏡山部屋(当時)に入門。03年名古屋場所で初土俵。13年初場所で新十両。14年初場所で新入幕。15年夏場所で十両優勝。17年秋場所で幕下優勝。18年名古屋場所で三段目優勝。20年11月場所を最後に休場が続き、21年秋場所から番付外に降格。鏡山部屋の閉鎖に伴い、同場所から伊勢ノ海部屋に移籍。23年3月、日本国籍を取得。幕内在位7場所。通算成績437勝408敗65休。最高位は西前頭9枚目。1メートル81、144キロ。

続きを表示

2023年4月3日のニュース