関脇・霧馬山 逆転初V 本割、決定戦で大栄翔に連勝 夏場所に大関獲りへ

[ 2023年3月27日 04:45 ]

大相撲春場所千秋楽 ( 2023年3月26日    エディオンアリーナ大阪 )

支度部屋で力士らと万歳三唱する霧馬山(中央)
Photo By 代表撮影

 関脇・霧馬山が小結・大栄翔との優勝決定戦を突き落としで制し、12勝3敗で初優勝した。2敗で単独首位だった大栄翔を本割に続いて破った。新関脇の優勝は昨年春場所の若隆景以来4人目。モンゴル出身力士の優勝は9人目。昭和以降初の横綱、大関陣不在の土俵を関脇が締め、夏場所(5月14日初日、両国国技館)では初の大関獲りに挑む。

 天を仰いで、深く息を継いだ。霧馬山が本割に続いて制した優勝決定戦。物言いがついたが協議の結果は軍配通り。その間の胸中を雄弁に物語っていた。

 「最高でした。2番目の相撲は“やってやるぞ”という気持ち。相撲部屋に入ったときの最初の夢がかないました」

 モンゴルの遊牧民一家に生まれ、相撲経験のないまま18歳で来日。新弟子検査を受けた際は94キロしかなかった。それから8年。異郷の土俵上で、入門以来の年月が脳裏を駆け巡った。

 1差で追う千秋楽の直接対決を逆転するのは、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降で三つ巴を除けば11回目。10日目でトップの翠富士と3差あったが、10日目以降に3差を逆転優勝したのは17年秋場所の日馬富士以来2回目という劇的幕切れだった。

 「本当にうれしくて、緊張しました。もうどこにいるのか分からなかった。相撲部屋に入って良かった」

 本割での突き落としに続き、優勝決定戦でも突き落とした。大栄翔に突き起こされ、土俵際まで押し込まれたが右足一本で残った。師匠の陸奥親方(元大関・霧島)によれば、「十両に上がっても最初に稽古場に下りた」稽古の虫。培った身体能力が大一番で花開き、佐渡ケ嶽審判部長(元関脇・琴ノ若)も「大栄翔の押しも良かったが霧馬山の足腰が勝った」と称えた。

 励んだ体づくりも生きた。19年9月に元関脇・逆鉾の井筒親方が亡くなり、その弟子の横綱・鶴竜が移籍。当時、霧馬山の体重は130キロ。突然兄弟子になった横綱から2杯だった丼飯を3杯食べるよう指示され、食べ終わるまでそばで見守られた。

 その成果もあり今場所前は一時147キロに。「上半身がまた一回り大きくなった。もう無理に太る必要はない。今は監視してませんよ」。放任主義を勝ち取った四つ相撲には、力感が宿っていた。

 小結で11勝した初場所に続き、12勝したことで夏場所は大関獲りとなる。取組後、昇進問題をあずかる佐渡ケ嶽審判部長が認めた。三役3場所で計33勝の目安に従えばあと10勝。「これから頑張ります」。横綱が消え、大関も消えた15日間を関脇が締めた。

 ◇霧馬山 鉄雄
 ☆生まれ&サイズ 本名ビャンブチュルン・ハグワスレン。1996年4月24日生まれ、モンゴルの首都ウランバートルから600キロ離れたドルノド県出身の26歳。1メートル86、140キロ

 ☆家族 両親と兄、妹

 ☆スポーツ歴 バスケットボール(小中学校の6年間)、モンゴル相撲(10歳から。18歳でモンゴルベスト4)、柔道(15~18歳)

 ☆入門の動機 アブラカ高卒業後、陸奥部屋の後援者を通してスカウトされ、14年10月に来日。陸奥部屋に計5人で体験入門した。故郷で馬を乗りこなした足腰のバランスの良さなどが陸奥親方から「センスがある」と評価され、15年1月に再来日して入門

 ☆しこ名の由来 陸奥親方のしこ名「霧島」の霧に、遊牧民で馬に乗っていたことから

 ☆大相撲歴 15年夏場所初土俵。19年春場所新十両。20年初場所新入幕。21年九州場所新小結。23年春場所新関脇。敢闘賞1回、技能賞2回

 ☆趣味 バスケットボール、音楽、映画、ゲーム

 ☆日本の好きなところ モンゴルにはない海

 ☆ライバル モンゴル時代も同じ柔道クラブに通った豊昇龍 

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