追悼連載~「コービー激動の41年」その67 マジックの一報で変わるガソルの人生

[ 2020年4月23日 08:30 ]

1991年にエイズを引き起こすHIV感染を公表したマジック・ジョンソン氏(AP)
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 やがてレイカーズの優勝に貢献することになるパウ・ガソルは少年時代、スポーツに興味は示さなかった。しかし1991年11月7日、11歳だったこの日が人生の最初のターニング・ポイントになった。

 米国からあるニュースが飛び込んでくる。母マリサが医師、父アグスティが看護士だったパウは「この人を助けたい」と両親に告げたのだそうだ。テレビ画面に映っていたのはNBAレイカーズのマジック・ジョンソン。エイズを引き起こすHIVウイルスへの感染を当時のレイカーズの本拠地「ザ・フォーラム」で公表した日だった。

 医師を志すきっかけになったのと同時に、たぶんパウ少年はバスケットボールにNBAという世界最高峰の舞台があることもわかったはずだ。身長はここからぐんぐん伸びていく。最初はラグビーをやっていたが、すぐにバスケットボールを手にして彼の人生のベクトルは米国へと向かっていった。

 医師への興味と願望を抱き続けたまま、彼はスペインを代表する若手のビッグマンに成長。1998年にU―18欧州選手権(ブルガリア開催)でスペインの優勝に貢献し、翌99年のU―19世界選手権(ポルトガル開催)も制覇。決勝では米国を94―87で破って見事な優勝を飾ったのである。そして2001年のドラフトで全体3番目に指名されてホークス経由でグリズリーズ入り。ガソルは海を渡り、テレビで見たあのマジック・ジョンソンと本当に出会うことになった。ただし医師としてではなく、同じNBA選手としてだった。

 さて「ガソル家」はここから驚くべき行動を取っている。三人兄弟の長男がNBA入りを決めると、なんと父アグスティと母マリサは勤務していたバルセロナの病院を辞め、次男マーク(現ラプターズ)と三男アドリアを連れてグリズリーズの地元、テネシー州メンフィス郊外に引っ越してきたのである。パウ以外の2人の子供は地元の学校に進学。両親はメンフィスで新たな仕事を見つけた。もしあなたがスポーツ有能な子供たちの親だとして、はたしてここまでできるだろうか?ただしスペインでは「家族は同居」の思いが強く、米国移住はスペイン伝統の?家族愛にすぎなかったのかもしれない。

 ともあれ初めての海外生活となったガソル三兄弟にとって、身近にいる両親の存在は大きかったはずだ。パウ21歳、マーク16歳、そしてやがてUCLAに進学するアドリアはまだ8歳。場所はロサンゼルスではないが、レイカーズの将来に直結するスペイン人一家の生活がメンフィスで始まっていた。

 そして2008年2月1日、パウがグリズリーズからレイカーズにトレードされた時の交換要員の1人は、まだNBAでプレーしていなかった弟のマーク(2007年ドラフトでレイカーズが2巡目、全体48番目に指名)。どこまでも「つながっている」家族だった。ただしこのトレード、たまたまマークがパウとの交換でメンフィスにやってきたからいいものの、例えば他のチームに行っていたら、あるいは交換要員にならずにそのままレイカーズへの入団となっていたら、父と母はどうしたのだろう?最初はパウにくっついてロサンゼルスに行こうとしたようだが、結局マークがグリズリーズに入団することになってアグスティもマリサもそのままメンフィスに残留。2人の人生も実にユニークだ。

 ちなみにスペインの成人男性の平均身長は178センチ。オランダ(184センチ)やドイツ、スウェーデン(ともに181センチ)ほど高くはなく、213センチ以上の三兄弟がいるガソル家は、190センチの父と185センチの母を含め、ことサイズという点では、家族愛とは違ってとても珍しい一家だったようだ。

 さてコービー・ブライアントに加えて、ゴール下で頼りになるパウを加えたレイカーズは、2007~08年シーズンを57勝25敗で終え、西地区の第1シードとしてプレーオフに突入。1回戦でナゲッツに4勝0敗、地区準決勝でジャズを4勝2敗、そして決勝では宿敵スパーズを4勝1敗で下して通算29回目のファイナル進出を決めた。スペイン出身の選手がNBAの大舞台に駒を進めたのはこれが初めて。王座をかけて対戦したのはセルティクスで、東西の名門チームによる最終決戦はミネアポリス時代のレイカーズを含めて10回目となった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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