改名「鰤の里」!でも序二段で“出世”最終形!?

[ 2010年4月27日 06:00 ]

改名で飛躍を誓う鰤の里

 日本相撲協会は26日、夏場所(5月9日初日、両国国技館)の新番付を発表。大関・把瑠都の付け人を務める能登ノ波(27)=千賀ノ浦部屋、東序二段5枚目=が出身地の石川・七尾市の名物にちなんだ「鰤(ぶり)の里」に改名した。名付け親の師匠は得意げだが、序二段なのに早くも出世魚の最終形を名乗ることになり、本人を含め周囲は当惑気味だ。なお、春場所で14勝した把瑠都が新大関となり、1横綱5大関時代となった。

 珍名誕生のきっかけは、初場所千秋楽の部屋の打ち上げパーティーだった。石川・七尾市で漁師を営む能登ノ波(当時)の父・木下文男さんが地元で水揚げした「佐々波(さざなみ)ブリ」を携えて上京。師匠の千賀ノ浦親方(元関脇・舛田山)らとの酒宴で、最初に「鰤の里」改名プランが浮上した。
 その翌場所の大阪で負け越し、三段目から陥落したことで、師匠が験直しの意味もあって改名を決意。本人は「最初は冗談かと思いました」と戸惑い気味だったが、「でも決まったからには、把瑠都関の大関昇進とともに番付を上がっていきたい」ときっぱり。既に部屋の呼び名も「ノッさん」から「ブリさん」に変わり、鰤の里が付け人を務める大関・把瑠都も「相当、笑いました」と大歓迎だ。
 ただし、稚魚から成長の過程によって呼び名が変わるブリは出世の最終形。入門7年目で4度目の改名が“上がり”の名前となったことで、周囲からは「もうゴール地点でいいのか?」の声も噴出。文男さんも「もう少し出世してから改名した方が良かったかな」と若干戸惑い気味だ。
 七尾市の佐々波漁港で収穫される「佐々波ブリ」は全国屈指の水揚げを誇るが、最近は富山の「氷見ブリ」に押されているという。現在はブランド力アップへ地元を挙げてPR活動を行っており、文男さんも「息子が活躍して七尾の知名度が増せば」とその成長“ブリ”に期待していた。

 ◆鰤の里強志(ぶりのさと・つよし=本名・木下毅)1983年(昭58)2月15日、石川県七尾市生まれの27歳。小学2年から地元のスポーツ団で相撲を始め、七尾工でも相撲部で活躍した。千賀ノ浦部屋に入門し、01年春場所初土俵。木下から栃ノ波、大波、能登ノ波に。得意は右四つ。最高位は三段目西24枚目。家族は両親と弟2人。1メートル82、145キロ。血液型A。趣味は釣り。

 ◆ブリの出世 関東地方ではワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ。鰤の里の故郷・能登地方ではコゾトラ→フクラギ→ガンド→ブリの3段階で出世する。

 <過去には「おっとせい」「猪シ鍋吉」も>協会広報部によると魚にちなんだしこ名は珍しいという。ただし、江戸時代には鰭(ひれ)ケ嶽岸右衛門、昭和以降では鯉の勢、鯱(しゃち)の里がいた。また、江戸・明治期には膃肭臍(おっとせい)市作、猪シ鍋吉、文明開化、不了簡綾丸(ふりょうけん・あやまる)などの珍名力士がいた。馬鹿の勇介、自動車早太郎なども実在。最近では大嶽部屋の右肩上り、森麗(もりうらら)が話題を集めた。

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2010年4月27日のニュース