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大の里 初賜杯に石川県の住民「元気もらった」 地元・津幡町の住民は「感無量」

[ 2024年5月27日 04:45 ]

輪島朝市で知られた朝市通りに残るがれきと火災で燃えた建物(撮影・佐藤昂気)
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 石川県出身の大の里の“史上最速優勝”は、能登半島地震から復興を目指す被災者に勇気と感動を与えた。いまだがれきが残る町中で「生きる力になる」と大喜び。出身地の津幡町ではパブリックビューイング(PV)に約400人が集まった。

 晴天の日曜日。地震前は輪島朝市で活気があったであろう朝市通りは、人通りもほとんどなく静まり返っていた。倒壊で割れた窓ガラス、火災で焼けた建物の骨組みや車はそのまま。地震発生直後の1月とほとんど景色は変わっていない。垂れ下がった電線も放置されている。気づかず触れそうになり、思わず後ずさりした。地震の揺れの大きさの証明としてたびたび報道された、倒壊した7階建てビルも手つかずの状態だ。

 そんな中で届いた“郷土の星”の快挙。朝市通りで創業80年以上の和菓子店「饅頭処つかもと」を夫と息子と営んでいた塚本民子さん(73)は「ここ最近で一番うれしい。生きる力になります。仮設住宅に住む人も喜んでいると思います」と声を弾ませた。朝市通りを歩いていた50代の会社員男性も「勝ったと聞くとうれしい。元気をもらっている」と喜んだ。

 それでも、がれきが残る現状には表情を曇らせる。がれきは行政による公費解体が決まったが、塚本さんは「1ミリも進んでいません。自分のお金でも撤去できるそうですが、都市計画との兼ね合いで、勝手に建物を建てることはできないと聞いています」と話した。

 被災自治体は公費解体の手続きを進めているが、一部自治体を除き、申請には相続権利人全員の同意を集める必要があるなどハードルが高い。元々、過疎化が進んでいたことで、権利人と音信不通というケースも多く、復興を阻んでいる。

 会社員の男性は、傾きながらも原形はとどめているため自宅で生活しているという。隣家が倒れかかってきているといい「次に元日と同程度の地震が発生したら命はない、という覚悟のもと住んでいます」と不安そうだった。

 被害が大きかった輪島市と珠洲市では、いまだ1000人近い市民が避難所生活を送っている。両市では2230戸で断水が続いている(21日現在)。復興への道筋が見えない中、この日の大の里の優勝が、一筋の光になるようにと願った。(佐藤 昂気)

 ≪町役場でPV 喜び爆発≫津幡町では、町役場でPVが行われた。固唾(かたず)をのんで取組を見守っていた住民らは、優勝が決まると両手を高く上げ、喜びを爆発させた。

 集まった人たちの手には「がんばれ!!大の里」と書かれたプラカード。大の里が押し出しで勝つと皆が立ち上がり、笑顔と歓喜が広がった。

 大の里の小学生時代、地元の相撲教室で指導していたという今村健作さん(53)は、教え子の快挙に「昔は決して強い子ではなかったが、とにかく相撲好きで元気に楽しんでいた。それがこんな歴史に残る活躍をするほど立派になって感無量だ」と語った。

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