×

中山由紀枝1発が…銅スルリも大健闘4位

[ 2008年8月12日 06:00 ]

惜しくもメダルを逃し悔し泣きする長女の芽生ちゃん(右)を抱きしめる中山由起枝選手

 【北京五輪・クレー射撃】クレー射撃女子トラップの中山由起枝(29=日立建機)が、同種目で日本女子過去最高となる4位入賞を果たした。100発の決勝ラウンドを終えた時点で、中山を含めた4人が3位に並ぶ大混戦。銅メダルを懸けたサドンデスの「シュートオフ」で一発目を失敗し、メダルは逃したが、4位に入った。一度は現役を引退したママさん選手が、日本クレー射撃の歴史に名を刻んだ。

 張りつめた空気の中、こん身の一弾を放った。当たれば銅メダル。だが無情にも弾は空を切る。中山は天を仰いだが、続く順位決定シュートオフの1回目で見事にクレーを粉砕。4位を決めて、会場に駆けつけた娘・芽生(めい)ちゃん(6)を抱き締めると「娘がいるからここまで来られた」と笑顔を見せた。
 21歳でダブルトラップに出場した00年シドニー五輪は、プレ大会で優勝するなどメダルを期待された。結果は13位。「生まれて初めての屈辱。苦しいプレッシャーの中で戦うのが嫌で逃げ出した」と翌年、引退した。結婚、出産…。しかし、何か満足ができなかった。芽生ちゃんを連れて離婚し、2年半のブランクを経て03年に現役復帰。「ママは強いんだと、自分に言い聞かせながら撃った」。人生を懸けた大舞台を娘と戦い抜いた。
 高校時代はソフトボールの捕手として活躍。実業団や大学から誘いがあったが「ソフトでの自分の夢は十分かなった」とすべて断った。クレー射撃部を創部した日立建機から「動体視力が優れている」と声が掛かり、未知の世界へ。そんな中山にとって、北京での4位は夢の途中でしかない。
 「シドニーの忘れ物は取りに来ることができた。ロンドン?もちろん狙う。その後も、おばちゃんまだ撃ってるのって言われるまでやりますよ」。強きママの飽くなき挑戦は、一生かかっても終わることはなさそうだ。

 ◆中山 由起枝(なかやま・ゆきえ)1979年(昭54)3月7日、栃木県生まれの29歳。埼玉栄高出。中学、高校はソフトボールの選手として活躍。埼玉栄高時には全国私立選抜大会で優勝。97年日立建機にダブルトラップの選手として入社。00年シドニー五輪は女子ダブルトラップで13位。昨年のW杯韓国大会で優勝し、代表枠を獲得した。1メートル61。49キロ。

続きを表示

五輪の2008年8月12日のニュース