橋田満師 “忘れられない名馬”サイレンススズカ「かわいくて奇麗で速かった」

[ 2023年2月22日 05:30 ]

橋田満師
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 【さらば伯楽】いよいよ2月もラストウイークを迎えた。騎手を引退し来月から調教師に転向する福永祐一(46)はサウジアラビアでジョッキーとして最後の時を迎える。同時に2月で定年引退となる東西5人のトレーナーは今週がラスト。最終週に登場願ったのは橋田満師(70)。日本調教師会会長を二度にわたって務めた関西の重鎮。調教師歴40年。名伯楽に伝説の名馬の思い出をたっぷり聞いた。

 98年11月1日、希代の快速馬サイレンススズカは星になった。後に「沈黙の日曜」と呼ばれる秋の天皇賞での悲劇。あれから20年以上が経過したが、スズカの星は夜空で一等星の輝きを放ち、日本の競馬を見守り続けている。

 99年のダービー馬アドマイヤベガなど数々の名馬を手掛けてきた橋田師だが、やはり忘れがたい馬はサイレンススズカだという。「稲原(牧場)さんから基礎繁殖になる馬をという話があり、アメリカのスピード血脈を探してきたのが(母の)ワキアでした」。生い立ちからトレーナーの夢が詰め込まれた馬だった。

 「強烈な個性を持っていて、それを自分から発信できる馬でした。かわいくて奇麗で速かった」

 4歳秋初戦の毎日王冠はエルコンドルパサー、グラスワンダーを撃破したことから平成屈指の名勝負に挙げられる。レース前日、東京競馬場の馬房でこんな非常事態が起きていた。

 「電話がかかってきて、“先生、ヤバイ。(馬房でグルグル回って)止まらへん”と。駆けつけると全身から汗がボタボタ。獣医さんが見たら心配するぐらいの発汗量。それですぐに馬房から出して運動させようと。洗い場につないでようやく落ち着いたぐらいでした」

 元々、旋回癖はあったが、歴史に残る圧勝劇の前日にこんなエピソードがあった。天皇賞・秋でのアクシデントは悪夢でしかない。それ以上に日本の競馬に血が残せなかったことが悔しいと橋田師は話す。

 「1600メートルのスピードを2000メートルまで持続する。それを目指していたのがサイレンススズカでした。凄く残念です。日本のサラブレッドにとって重要な血と思っていましたから」

 きっといい子を出していた…という言葉はあえてのみ込んだ。これも運命。サイレンススズカは種牡馬にはなれなかったが物語になった。競走馬の強さと可能性。はかなさを綴(つづ)る物語。

 ウマ娘に登場する同馬はけなげでいちずだ。自分の気持ちを持った強い女の子(もちろん逃げ馬)。橋田師も「似てる。うまく考えてくれた。いいキャラクターだね」とお気に入り。サイレンススズカが埋葬されている北海道平取町の稲原牧場にはウマ娘きっかけで競馬を知った若いファンが訪れ、手を合わせているという。「以前からファンの多かった馬ですが、増えたようです。きれいなお墓でガゼボ(西洋風のあずまや)があって、隣には手を洗うこともできる小川がある」とうれしそうだ。

 調教師40年の幕がいま下りようとしている。「好きなことがやれて楽しかったですよ」とシンプルに話せる人生は最高だ。父・俊三さんから受け継いだ夢は息子の宜長(よしたけ)さん(現調教助手)にバトンが手渡される。「続くってことは良いこと。大切にしなければ。それぞれの世代で目標も違うから、自分の好きなことをやればいい」。そう話す視線は競馬の未来に向けられていた。

 ▽サイレンススズカ 父サンデーサイレンス、母ワキア。94年5月1日、北海道平取町の稲原牧場生まれ。オーナーは永井啓弍氏。生涯成績16戦9勝。3歳2月デビューで3歳時は9戦3勝、ダービーはサニーブライアンの9着。4歳時に本格化し、2月バレンタインSから破竹の6連勝。重賞勝ちは98年中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念、毎日王冠。7連勝がかかった天皇賞・秋のレース中に左手根骨粉砕骨折を発症。安楽死となった。「ウマ娘プリティーダービー」ではスズカの愛称で絶大な人気を誇る。

 ◇橋田 満(はしだ・みつる)1952年(昭27)9月15日生まれ、兵庫県宝塚市出身の70歳。父は73年天皇賞・春優勝のタイテエムを管理した橋田俊三元調教師。75年、同厩舎で騎手候補生。78年同厩舎で調教助手。83年3回目の受験で調教師免許を取得。85年3月に厩舎開業。87年小倉3歳S(ポットナポレオン)で重賞初勝利。90年マイルCS(パッシングショット)でG1初制覇。JRA通算7261戦743勝。JRA重賞63勝(うちG111勝)。海外でも英G1ナッソーS(ディアドラ)勝ちがある。

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