藤沢和師 知られざる素顔 馬のゲート入りまで直せる正真正銘のホースマン

[ 2022年2月28日 05:30 ]

多くのファンらを前に頭を下げる藤沢和師(撮影・郡司 修)
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 【記者フリートーク】美浦トレセンで行われた藤沢和厩舎のゲート練習中にゲート入りを拒む馬がいた。担当厩務員が引き手を押しても引いても発馬機の前でピクリとも動かない。その傍らで心配そうに様子をうかがっていた浴中(えきなか)というベテラン厩務員に藤沢和師が指示した。「バケツに水をくんで来てくれ」。浴中さんが「何に使うんですか?」と尋ねながらバケツを渡すと、師は答える代わりにバケツの水をゲート前で固まっている馬の頭に浴びせた。すると、その馬は何事もなかったように涼しい顔でゲートに入って行く。魔術でも見せられたようにポカンと口を開けるスタッフたちに、師はニヤリと白い歯を見せたという。「バケツの水で手なずけてしまうのだから正真正銘の天才だよ」。後にシンボリクリスエスを担当する浴中厩務員から聞いた逸話である。

 勝負になると目の色が変わった。タイキブリザードがわずかに鼻差及ばず2着に惜敗した96年安田記念。「差し返そうとした、いい競馬だったね」。レース後、師はメディアの取材に平静を装ったが、記者会見を終えて東京競馬場のエレベーターに乗り込むと…。もう時効だから書いてしまおう。真っ赤な目で足を踏みならし、ぐらぐらエレベーターを揺らし始めた。「キャーッ!先生、やめて!!落下しちゃうから」。エレベーターガールの悲鳴が上がる。名伯楽はキングコングになっていた。

 リベンジが懸かる翌年の安田記念。レース前から瞳の奥に炎が揺れていた。「金がなければ貸してやるから鼻血が出るほど勝負してみろ!競馬に絶対はないけど、タイキブリザードは絶対勝つから」。師に背中を思い切り押され、清水の舞台から飛び降りたつもりで女房から預かった新車の頭金をそっくり穴場に突っ込んだ。震えが止まらない。すがる思いで近くの大国魂神社の鳥居をくぐり、安産祈願の夫婦連れに交じって的中祈願のおはらいを受けた。「先頭はタイキブリザード!」。レースを直視できずに駆け込んだトイレの個室で場内アナウンスを聞きながら丸めた新聞を振り回した。「馬券下手でもさすがにもうけただろ?」。表彰台から下りた師が尋ねる。冷や汗でぬれた胸ポケットの馬券は連勝のヒモが抜け、当たったのは2.3倍の単勝だけだった。

 平成初めの新米記者時代、美浦に構えて間もない厩舎で美咲夫人の入れたてのコーヒーをいただいて以来の付き合い。若気の至りで外れ馬券の山を築き、生活に窮した時には美浦村のとれたての新米も送ってもらった。「腐れ縁だ」と口は悪いが、心根優しい名伯楽のラストデーは2勝。馬券は取れなかった。「あんたの馬券下手を治せる薬はなかったな」と笑われたが、馬のゲート入りまで直せる正真正銘の天才ホースマンだった。 (競馬担当・梅崎 晴光)

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