藤沢和師が有終2勝 34年の競馬人生に幕「何より馬たちに感謝しないとな」

[ 2022年2月28日 05:30 ]

最終レースを終えおだやかな表情で花束を手にする藤沢和師(撮影・村上 大輔)
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 さらば、レジェンド!!JRA・G134勝など大記録を樹立した藤沢和雄調教師が27日、70歳定年で引退した。現役最後の日に花を添えるように管理馬が中山競馬場で2勝を挙げ、歴代2位のJRA通算1570勝。競馬の常識も変えた名伯楽物語は感謝の拍手に見送られて大団円を迎えた。

 開業から34年、のべ9113戦にも及んだスーパートレーナー一代記の最終ページ。大トリを務めたレッドサイオンなど中山記念出走の3頭が最後の戦いを終えて引き揚げてくると、藤沢和師は穏やかな笑みで出迎えた。「ご苦労さん」、「頑張ったな」。騎手や厩舎スタッフの涙と笑い、管理馬の腹から滴り落ちる汗も染みついた脱鞍所。期せずして通路を挟んだ観客エリアから万雷の拍手が起きた。「最後は上位に来られなかった。ごめんなさい。長いことありがとう!」。高々と右手を上げて、深く一礼した。

 「寂しいけど、こんなに応援してもらった調教師はいない」。花束を受け取った師匠に鹿戸師、古賀慎師、北村宏ら弟子が寄り添う。「来週からはあんたらの馬券買って、外れたら文句言うぞ(笑い)」。涙は人に見せない主義。込み上げる思いを軽口でこらえた。

 美浦トレセンに厩舎を構えたのは昭和の末期。調教の常識を変えた。それまでの個別調教から隊列を組んだ集団調教へ。ムチで叩く攻め馬から気持ち重視の馬なり調教。大卒後の4年間、調教厩務員として過ごした英国ニューマーケットの厩舎で得た本場の馬優先主義を実践した。「英国かぶれの集団調教なんて危ない」、「馬なりでは仕上がらない」。トレセン内外の批判には結果で反論した。開業6年目の93年から全国リーディング1位が12回。「数は腕、大小は運」。藤沢和厩舎を支えた外国産馬がクラシックなど大レースに出られなかった90年代は釣りの格言を口にしながら勝利数を重ねた。その数が半減したのは7年前。20年続いた関東首位の座を明け渡した。「首位の座に安住して、挑まなくなった。必ず復活する」。調教法を一から見直し、翌年、関東首位に返り咲いた。

 JRA重賞126勝、G134勝。レイデオロでダービーも優勝した。厩舎は解散しても、タイトルを携えて繁殖入りした“藤沢ブランド”が次代の血統書にまで裾野を広げる。

 「34年か…私の厩舎で頑張ってくれた馬たちのような速さでゴールを迎えた。何より馬たちに感謝しないとな」。花道には再び惜しみないはなむけの拍手。スーパートレーナー一代記の記録と記憶は次代に語り継がれる。愛情を注ぎ続けて開花した自慢の血統と共に…。

 ◆藤沢 和雄(ふじさわ・かずお)1951年(昭26)9月22日生まれ、北海道苫小牧市出身の70歳。実家は78年秋の天皇賞馬テンメイなどを生産した藤沢牧場。88年厩舎開業。JRAリーディング(中央競馬年間勝利数1位)12回。JRA通算1570勝。趣味はゴルフ、鳩の生産飼育。

 ▼岡部幸雄氏(元JRA騎手)騎手時代にはレースはもちろん調教でも藤沢和厩舎の管理馬に騎乗させてもらいました。仏G1ジャック・ル・マロワ賞を優勝したタイキシャトルなど思い出深い馬もたくさんいます。藤沢和調教師との思い出も語り尽くせないほどあります。日本が誇るべきトレーナーでした。

 ▼武豊(JRA騎手)ボクの騎手免許と、藤沢先生の調教師免許の取得が同じ年(87年)。調教師と騎手ですが、同じ年数を過ごしてきました。管理馬のダンスインザムードで桜花賞を勝たせてもらったりしたけど、東の藤沢先生、西のボクでライバル関係の方が多かったでしょう。気持ち的にはボクが挑む側でした。

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