瀬谷隆雄オーナー感謝の沖縄馬名、11頭に込めた「特別な思い」

[ 2019年7月24日 05:30 ]

「きびきびした」の沖縄馬名を持つチビラーサン
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 チュラカーギー、チビラーサン…。ユニークな沖縄馬名はいとしい南の島へのラブレターだ。名物ホースマンに迫る「Ask You」。今週は所有馬にウチナーグチ(沖縄語)で命名を続ける瀬谷隆雄オーナー(71)を直撃。沖縄県内47の有人島をくまなく巡り、事業を成功させた馬主が愛馬の名に込めた思いとは…。沖縄の島々への感謝と愛情だった。

 ――瀬谷オーナーの持ち馬にはウチナーグチの名前が多い。チュラカーギーを皮切りに現3歳のチビラーサン。2歳馬ではキッズアガチャーなどが間もなくデビューですね。
 「沖縄には特別な思い、こだわりがありますからね。子供好きなので冠名は“キッズ”。今年の2歳馬3頭にはキッズの後に沖縄言葉を付けています」

 ――JRAに競走馬登録なされた沖縄馬名は11頭を数えます。なぜウチナーグチの馬名を?
 「沖縄が好きなんですよ。(72年の)本土復帰直後からしばらく沖縄に住んでいまして…。当時、通信設備工事の会社を立ち上げた私は沖縄県内のダイヤル直通工事(電話工事)を請け負って、いろんな島々を歩きました。鉄塔に通信施設をつくる仕事。NTTが電電公社だった時代です」

 ――本土では50年代から通信環境が整備され始めましたが、米軍施政下の沖縄では整備が大幅に遅れ、本土復帰後にようやく電電公社が着手しました。
 「その下請け工事です。山の上にアンテナを立てて、電波を島から島へつないでいったんです。沖縄本島の豊見城から宮古島へ、西表島から与那国島へというように…。沖縄本島とその周辺離島、宮古・八重山の島々…民宿に泊まったり、アパートを借りたりしながら、5、6年かけて全ての有人島を巡りました。沖縄の地理は沖縄の人より私の方が詳しいんじゃないかな(笑い)。沖縄海洋博(75年)の無線工事もやりましたよ。往生したのは西表島の工事。トラックに積み込んだアンテナが橋にぶつかって通れなくなってしまった。新城島は当時2人しか住んでいなかったけど孤立化防止で無線機を取り付けに行きました」

 ――島々ではウチナーンチュ(沖縄の人)の人情にも触れた?
 「どの島に渡っても、皆おおらかで、凄く優しくてね。生活が大変なのに、貝とか野菜とか、腹いっぱい食わせてくれる。仕事が休みの日にサトウキビ畑の手伝いを少しやったら3000円もよこす。泡盛も浴びるほど飲ませてもらった。単身で立ち上げた会社も沖縄全域での工事をきっかけに大きくなったし、お世話になった沖縄にちなんだ馬名を付けたかった」

 ――ムスメジントーヨーは78年に琉球民謡の唄者、我如古より子がリリースした「娘ジントーヨー」から命名。沖縄でお仕事されている時代のヒット曲ですね。
 「♪南風吹けば、咲く花のちゅらさよ…。ラジオのスイッチをひねると聞こえてくるんですよね。大好きな曲です。今でもカラオケでよく歌います。当時、開店した焼き鳥屋でも流したかな」

 ――焼き鳥店?
 「石垣島で初めて焼き鳥屋を開いたのも私です。随分もうかったなあ」

 ――なぜ焼き鳥店を?
 「当時の石垣島にはなかったからです。無線の仕事が終わって、夜一杯やりたいなと思って、焼き鳥屋を探しても、どこにもない。それなら、自分でやろうと。当時は焼き鳥屋どころか、居酒屋さえほとんどない時代。その後、那覇市の前島にも大五郎という焼き鳥屋を開店しました」

 ――沖縄馬名を付け始めたのはいつから?
 「チュラカーギー、キッズガチマヤーと命名したのが最初だから15年ですかね。沖縄馬名以外では、孫やうちの会社の社員の子供の名前を「チャン」の愛称を付けて馬名にしてます。サヤカチャン(17年のアルテミスS2着)、サナチャン(新潟2歳S出走予定)みたいに…」

 ――地方競馬へ転厩した馬もいますね。
 「1勝しないと中央には残れない。沖縄馬名の多くはJRAで勝てなかったので地方に移りましたが、チュラカーギーだけは随分賞金を稼いでくれた。やっぱり、いい女だったな。でもトータルしたら赤字ですよ。(個人馬主で)もうかっている人なんて5%もいないんじゃないですかね。道楽ですよ」

 ――最初に持った馬は? 
 「うちの会社・キッズワールドと同じ名前にしたんです。ところが、そのキッズワールド(松山康久厩舎所属で01年デビュー)は3戦目に転倒して死んじゃった。落馬した武豊騎手は骨盤骨折の重傷。そんな時に吉田勝己さん(現ノーザンファーム代表)が米国のセリで買ってきてくれたのがキッズスター(同厩舎)。チュラカーギーの母親です。松山(康久)さんと吉田勝己さんがいなければ、たぶん馬主やめていたね」

 ――オーナーは騎手交代を好みませんね。
 「キョウヘイ(シンザン記念優勝)みたいに馬が走りだすと「外国人騎手を乗せれば、もっと成績を上げられる」と言われるが、私はこれまで乗ってきた騎手を大事にしたい。稽古もつけているんだから乗せてやってほしいと頼んでいる。義理、人情をなくしたら、おしまいですよ。金は大事だけど、全てじゃない。それと、沖縄にお世話になった馬主として心配事がある」

 ――宮古馬(沖縄在来馬)ですか?
 「宮古島で虐待されたり、お荷物扱いされているようだが、なんとかしないと…。あなたや岡部幸雄さん(元JRA騎手)が現地に行って強く主張しているように役畜として自立することが大事。観光資源としても大きな可能性がある。JRAがソフト面での支援に乗り出したと聞いたが、私にも協力できることがあれば言ってほしい」

 ――今後も沖縄馬名を付けていく予定ですか?
 「私の友人に琉球競馬を研究している珍しい記者がいるんだ。彼に相談して、ドゥラメンテやキズナ産駒の1歳牡馬に素晴らしい沖縄馬名を付けたい」

 ≪早世競馬ファンから名付けたキョウヘイ≫17年シンザン記念で瀬谷オーナーに重賞初タイトルをプレゼントしたキョウヘイ(牡5=宮本)は早世した競馬ファンをしのんで名付けられた。「恭兵君という知り合いの息子さんが、がんを患い、21歳で亡くなった。その息子さんが競馬好きだったことを母親のブログで知ってね。許可を得て命名したんだ」。恭兵さんの母、横山真弓さんはシンザン記念当日、京都競馬場を訪れ、瀬谷オーナーに背中を押されて優勝馬主の表彰台へ。「息子が最後に競馬場に来たのが亡くなった年(05年)のシンザン記念でした。うれしいです」と優勝トロフィーを胸に抱きしめながら涙をこぼした。

 ◆瀬谷 隆雄(せや・たかお)1948年(昭23)4月18日生まれ、福島県出身の71歳。武蔵野産業(通信設備業)、キッズワールド(旅行業)などの取締役会長。東京馬主協会役員。共有馬を含めて中央、地方競馬に17頭所有。馬主歴20年。

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