【G1温故知新】1990年朝日杯3歳S4着 ヤクモアサカゼ

[ 2016年12月14日 06:00 ]

1990年12月10日、ヤクモアサカゼが4着に敗れ去った朝日杯3歳S翌日のスポーツニッポン紙面
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 G1の過去の勝ち馬や惜しくも力及ばなかった馬、記録以上に記憶に残る馬たちを回顧し、今年のレースの注目馬や見どころを探る「G1温故知新」。第10回は1990年の朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティステークス)に出走し4着に終わった牝馬ヤクモアサカゼを回顧しつつ、今年の目玉である“勇気ある牝馬の挑戦者”ミスエルテに迫る。

 2歳チャンピオンを決める朝日杯FSを制覇した牝馬はいない。前身の朝日杯3歳Sまで遡っても牝馬の勝ち馬は1980年のテンモンが最後だ。その要因としては、1991年から2003年まで牡・セン限定戦だったこと、そして11日に行われた2歳牝馬限定の阪神JFの存在も見逃せない。阪神3歳Sを前身とする阪神JFは今では2歳女王決定戦として定着し、07年日本ダービー馬ウオッカですらそうであったように、朝日杯が牝馬にも開放された04年以降も多くの有力牝馬は同じ条件(芝1600メートル)の阪神JFへ向かう傾向にあるからだ。

 牡・セン限定戦となる前年、1990年の朝日杯3歳S(当時は中山芝1600メートル)にヤクモアサカゼは出走した。紅一点の彼女は“皇帝”シンボリルドルフの愛娘であり、大きな期待が寄せられていた。

 1988年生まれのヤクモアサカゼは、ルドルフの初年度産駒で、中央競馬で最初にデビューし、最初に勝ち上がった馬でもある。的場均の手綱で2着に2馬身半差つけた初戦は札幌芝1000メートルの条件。ただ、この距離はシンボリルドルフ×タイテエム牝馬という血統の彼女にとっては忙しい感があった。持ち味を生かすためには最低でもマイルは欲しい。しかし、90年当時の2歳ローカル重賞は札幌も函館も新潟も小倉も千二ばかり。千八以上の距離の2歳重賞が存在しない時代に彼女はもがいた。

 新馬戦快勝後はクローバー賞と函館3歳S(ともに函館芝1200メートル)を連戦したが、ともに3着。10月には待望の千七となるきんもくせい特別に出走も2着まで。再び千二に戻った福島3歳Sは2歳レコード駆けで難なく制した。そして中2週で挑んだ朝日杯3歳S。当時は“西の2歳No.1決定戦”の位置付けではあったが、マル外のリンドシェーバーや、ノーザンテースト直子の快速馬ビッグファイトら強豪牡馬ぞろい。ヤクモアサカゼは13頭立ての4着に敗れた。凱歌を上げたのは、彼女の全2勝をエスコートした的場均がまたがるリンドシェーバー。勝ち時計は1分34秒フラットのスーパーレコードだった。

 それでも、彼女には雪辱の機会が残されているはずだった。決して力負けではない、オークスなら巻き返せる…ところが、無情にも右前膝の骨折が判明し、春クラシックを棒に振ることになる。ルドルフ産駒の“旗手”としての存在意義が薄れつつある中、表舞台には“真打ち”が登場した。その名は「トウカイテイオー」…。

 牝馬ながら今年の朝日杯FSに挑戦するミスエルテはG1・10勝を含め14戦無敗の“怪物”フランケルの初年度産駒。確かに新馬戦は圧巻だったし、ファンタジーSでの末脚も見事だった。だが、朝日杯FSの結果次第で今後の運命は大きく変わってくるかもしれない。阪神JFでは同じく“怪物の娘”であるソウルスターリングがフランケル産駒初のG1制覇を成し遂げた。ミスエルテも負けるわけにはいかない。朝日杯36年ぶりの牝馬優勝こそが、現時点では存在をアピールする最大の手段なのだから。

 運命の朝日杯から間もなくしてヤクモアサカゼは骨折休養に入った。その後の彼女は脚光を浴びることもなく、コツコツ走って条件戦を3勝したものの重賞には手が届かないまま引退。繁殖入り後に数頭の子を産んだが、彼女にスポットライトが当たる機会はもう二度となかった。

(文中のレース名表記は施行当時の表記で統一)

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