チャールズ幼少期からクラシックを意識

[ 2008年4月17日 06:00 ]

 マイネルチャールズは育成時代からクラシックを意識させる存在だった。真歌トレーニングパーク(北海道・静内)でチャールズを担当した小林司氏(34)は「1歳11月に初めて乗った時、それまで体験したことがない乗り味に驚いた」と衝撃的な出会いを振り返る。00年函館3歳S優勝のマイネルジャパンなどを担当してきた腕利きが初めて味わう感触。「並脚が弾むような歩様で、かといって背中は緩くない。つなぎがいいのでしょう。こういう馬がクラシックに行けるのかなと思った」と話す。

 「マイネル」などの冠名で知られる愛馬会「ラフィアンターフマンクラブ」の所属馬。クラシックと縁がなかったマイネル軍団の秘策も奏功した。現4歳世代から折り合い重視の縦列調教を採用。小林氏は「今は先行抜け出しの競馬ですが、ハミの抜き方がうまいし後ろでも折り合っていける。皐月賞で結果を出せればダービーもと内心は思っています」と色気ものぞかせる。
 チャールズは総額3000万円(1口15万円×200口)で募集され、応募は210口と同期53頭中16番目の人気にすぎなかった。しかし、走るごとに会員の熱気も過熱。京成杯時には優勝記念撮影の申し込みがわずか5分で定員に達し、クラブ史上初めて抽選を行った。03年フラワーC優勝マイネヌーヴェルなどの母マイネプリテンダーは、チャールズを産んだ直後に死去。忘れ形見が大仕事をやってのけるか。「いつもはまずは無事にと思うが、今回に限っては頼むから勝ってくれという気持ち」(小林氏)との言葉が、関係者の悲願成就に懸ける思いを物語っている。

続きを表示

2008年4月17日のニュース