【山本譲二 我が道15】妻の頑張りで誕生した小さな宝 父親の実感に思わず涙

[ 2026年4月16日 07:00 ]

誕生から3カ月、長女・琴乃を披露
Photo By スポニチ

 悦ちゃんと結婚してちょうど1カ月後の1987年3月2日。大阪で仕事をしていると、突然連絡が来ました。「悦ちゃんが破水して病院に運ばれた」というのです。

 妊娠7カ月目に入っていた彼女は、この日午後用事があり、渋谷に出かけていました。デパートで男性に突然ぶつかられて転倒した時、「ブチッ」と音がしたそうです。次第におなかが痛くなり、友人を呼んで助けに来てもらいました。結局、救急車で救急病院に運ばれ、破水と判明したそうです。専門担当医の問題もあり、別の大学病院に搬送されました。胎児が800グラムにも満たない状態だったので、少しでも長く胎内にとどめて成長させた方が良いと診断され、人工羊水で育てることになりました。

 21日間も悦ちゃんは頑張ってくれました。ずっと点滴漬けの日々です。注射痕で両腕とも青あざだらけ。どこに点滴の針を刺せば良いのか分からないような状態になっていました。「十分頑張ったから、もう頑張らせないでください」と担当医に伝え、3月23日に1126グラムの長女が誕生しました。以前から決めていた「琴乃(ことの)」と名付けました。

 横浜でのディナーショーの仕事を終えて病院に駆け付けると、想像を絶するほど本当に小さい子でした。事前に北島のオヤジから電話があり「小さくても覚悟して行けよ」と言われていました。保育器の中の琴乃は、自力で呼吸することを忘れてしまうのか、時々息が止まってしまうこともありました。足の裏を2、3回叩いてあげると、また呼吸を始めるのです。右手の人さし指を出すとパッと握ってくれました。糸のような細い指の感触に、父親としての実感がわいてきて思わず涙がこぼれました。

 悦ちゃんは約1カ月後の4月に退院しましたが、琴乃は6月15日まで入院していました。この日が当初の出産予定日でした。2850グラムまで成長していました。この間、悦ちゃんは毎日母乳を病院に届けました。彼女は母乳の出が良く、ほかの赤ちゃんの分も持って行っていました。同様のケースで誕生した子が病院に多く、早産の場合は母親の母乳がまだよく出ないケースも多いそうです。

 4年後には次女の「妹果(まいか)」が元気に生まれました。生まれる時は心配した琴乃ですが、その後は無事、健康で元気に育ってくれました。歌手を志した時期もあり、彼女が22歳だった2009年に「枯葉のバラード」という作品で、父娘デュエットをしました。その後、良き伴侶を見つけて結婚し、17年3月に男児を出産しました。気が付いたら自分も「おじいちゃん」になっていたのです。年とともに人生の楽しみは減っていきますが、今は孫と遊ぶことが最大の楽しみとなりました。今度遊びに来る時、どうやって孫の相手をしようかが常に頭の中にあります。すっかり「じじバカ」をしています。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「中居正広」特集記事

芸能の2026年4月16日のニュース