【藤あや子 我が道7】毎年角館に行くと…ずっと27歳のおじいちゃん

[ 2025年12月7日 07:00 ]

19歳のミス花嫁は妊娠中でした
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 秋田には毎年秋、地元放送局主催の「花嫁コンテスト」というイベントがありました。高校3年時と翌年、2年連続で出場しました。基本的に内弁慶なので、本当は出たくありませんでした。しかし、たくさん協賛企業が付く大イベントですから、優勝副賞が超豪華でした。ハワイ旅行だけでなく、総絞りの振り袖、高級家具など花嫁道具一式をもらえました。ですから、母親が「絶対に出なさい」と勝手に応募したのです。1年目はフォトジェニック賞でした。すると、近所のおばちゃんも「真奈美ちゃん、次は絶対優勝だから!」と、周囲の鼻息の方が荒かったのです。

 100人以上が出場した1次審査は洋服姿。2次審査はカクテルドレス、10人ぐらいに絞られた最終審査は花嫁衣装の打ち掛け姿でした。料理や掃除の技能を競うわけでもなく、いわゆるミスコンです。結果、2年目に優勝しましたが、花嫁どころか、すでに私のおなかの中には子供がいました。年明けに行ったハワイ旅行は隆洋さんと一緒でした。おなかの中の長女はその年9月に生まれるのですが、安定期に入ったことを確認して行ったのです。今思うと、アロハシャツの上に革ジャンを着て旅行したこの時が、最も楽しい時でした。

 隆洋さんとはずっと「通い婚」状態で、実は一度も一緒に住んだことはありません。父親が猛反対していたので、彼が実家に来ることはほとんどありませんし、来てもすぐに帰りました。彼のご両親は、付き合い始めてすぐに相次いで亡くなられており、実質的に彼は一人住まいでした。角館に彼のやりたい仕事はなく、単身上京してしまいました。実は結婚しても彼からお金を1円ももらえませんでした。東京から仕送りもなく、実家で自分が働いて娘を育てるしかありません。一度、隆洋さんが角館に帰って来たことがありました。1円も送ってくれなかったのに、彼は高級ブランドのベージュのスーツ姿でした。

 娘が2歳になった冬に、隆洋さんとの協議離婚が成立しました。経済的にも、精神的にも、追い込まれていました。その3年後に隆洋さんは27歳で亡くなりました。自殺でした。私は25歳、娘が5歳の時でした。連絡を受けて、娘と2人でお葬式に行った時にはすでにお骨になっていました。葬儀場からの帰り際、娘が「バイバイ」と言った声を忘れることができません。

 今になれば、親があれだけ結婚に反対した気持ちは痛いほど分かります。言い方は悪いのですが、経済的に彼には何もお世話にならなかったわけで、世間的にはとんでもない男でしょう。でも、彼のおかげで大切な子供を授かり、可愛い孫もできました。その意味で感謝の気持ちでいっぱいです。毎年、父の墓参りのために角館に行くと、すぐ近くにある隆洋さんのお墓も寄って花を手向けています。「いいなあ、永遠に27歳のままで…。ずっと27歳のおじいちゃん、娘と孫を見守っていてね」と拝んでいます。

 ◇藤 あや子(ふじ・あやこ)1961年(昭36)5月10日生まれ、秋田県角館町(現・仙北市)出身の64歳。民謡歌手として活動後、87年に村勢真奈美の芸名で「ふたり川」でデビュー。89年、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。92年「こころ酒」で日本有線大賞を受賞、第43回NHK紅白歌合戦に初出場、21回出場している。新曲「想い出づくり」など「小野彩(このさい)」のペンネームで作詞・作曲も行う。

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