【岸本加世子 我が道7】樹木希林さんと「お正月を写そう」 富士フイルムのCMで長く共演

[ 2025年11月7日 07:00 ]

富士フイルムのCM撮影で樹木希林さんとパリに飛んだのも楽しい思い出です
Photo By 提供写真

 樹木希林さんがそれまでの芸名「悠木千帆」を改名したのは、TBSドラマ「ムー」からです。1977年4月1日に放送された特別番組「テレビ朝日誕生記念番組・わが家の友だち10チャンネル・徹子のナマナマ10時間半完全生中継」の中のオークションコーナー「にんげん縁日」で、自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけたんですね。

 「なんで名前を売ったんですか?」と問うと「大事なものだから売ったのよ」と希林さんは答えました。「へえ、そういうものなんだあ」と妙な感じを抱いた記憶があります。

 久世光彦さんが演出した「ムー」「ムー一族」でご一緒した希林さんとは「富士写真フイルム フジカラー」のCMでも長く共演させていただきました。

 「お正月を写そう」「写ルンです」などなど、今でも語り継がれる名シリーズ。とりわけ話題を呼んだのが80年にオンエアされた、この一編。

 岸本「フジカラープリントでしたら、美しい人はより美しく、そうでない方は」

 樹木「そうでない方は…」

 岸本「それなりに写ります」

 樹木「それなりに…」

 このフレーズは視聴者の皆さんのハートをつかみ、流行語にもなりました。

 あらかじめコンテをいただくのですが、希林さんとCMディレクターの川崎徹さんが、「今度こういうのどう?」「ああいうのやってみない?」などとアイデアを出し合って作っていく。「そうでない方もそれなりに」のやりとりも、そんな話し合いの中から生まれた気がします。

 富士フイルムのCMの仕事は10年以上もやらせていただきました。年に何本も撮って、84年にはロケでフランス・パリにも飛びました。楽しい思い出です。

 ある時、希林さんがこんなことをおっしゃいました。

 「わたしたち、高樹町(西麻布)の富士フイルム本社の前を通る時は敬礼して通りましょ」

 希林さんと一緒にロケバスに乗って、本社の前を通ったことがありました。もちろん2人で敬礼しましたよ。

 そういえば、「ムー」や「ムー一族」はたくさんの人が脚本を書かれていました。皆さん、ペンネームを使っているから誰か分からない方もいて…。希林さんも「林南無(はやし・なむ)」という名前で何本か書かれてました。「誰が書いたか分からない時は、みんな私のところに(脚本料を)振り込んでおいて」とジョークを飛ばしていましたが(笑い)。

 久世さんはこの方にも引き合わせてくださいました。脚本家の向田邦子さんです。お二人は「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」でも仕事をしていて深い信頼関係を築いていました。

 ◇岸本 加世子(きしもと・かよこ)1960年(昭35)12月29日生まれ、静岡県島田市出身の64歳。77年、テレビドラマ「ムー」で女優デビュー。以降、テレビ、舞台、映画、CMなどで幅広く活躍。ドラマ「あ・うん」、舞台「雪まろげ」、北野武監督の映画「HANA―BI」「菊次郎の夏」など代表作多数。著書に小説「出てった女」、エッセー「一途」など。

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