「あの日の私は、何者かになりたかった」──滝沢ひなのがNEO JAPONISMで見つけた“自分を誇れる場所”

[ 2025年9月23日 16:00 ]

【画像・写真2枚目】「君がいたから 僕でいられた」——NEO JAPONISM滝沢ひなの ファンと肩を組んで歌う「Never fade away」の色あせない力(撮影・泉なお)
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 7人組アイドルグループ「NEO JAPONISMネオジャポニズム)」の滝沢ひなのが、新作EP「NON LABEL」の発売を機に、都内でソロインタビューに応じた。現在のアイドルシーンで唯一無二の個性を放つ“ライブモンスター”.。その原点にあったのは、ただ一つの想い。「何者かになりたい」。その衝動が、すべての始まりだった。(「推し面」取材班)

 両親ともにバンドマン。ロックとパンクが流れる家で育ち、アイドルに憧れたことはなかった。それでも、胸の奥にずっとあった感情がある。

 「何者かになりたい」

 中学生の頃だった。教室でひとりぼっちの時間が続いていた。孤独な空間にいることが苦しかった。 「こんなにボロボロにされてる自分が有名になったら、周りはどう思うんやろ」。そんなことばかり考えていた。

 何かを変えたかった。誰かを見返したかった。その小さな炎が、やがて滝沢を突き動かす原動力になっていく。

 アルバイトできるようになった頃、 地元・高知でローカルアイドルのオーディションが目に留まった。「家族でお寿司を食べに行く前でした。母が写真を撮って送ってくれたんです」。審査当日はバイトと重なっていたが、「バイト行くのちょっとしんどいな」という気分に加え、母も背中を押してくれて会場へ足を運んだ。ロック少女が、人生で初めてアイドルの扉を開けた瞬間だった。

 最初のアイドル活動は数年。卒業間際に対バンした当時のNEO JAPONISMサイドから実力を高く評価された。運命が交差した。当時の事務所に「私は東京でやりたい」と泣きながら直訴。主戦場を首都へと移すことになった。

 だが、決意の一歩に周囲から浴びせられたのは、冷ややかな声だった。「また同じことするんか」「あいつのやりたいことはバンドやろ」。アイドル離れしたライブパフォーマンスゆえに、東京での再スタートを揶揄する言葉を浴びた。

 「闘う」をコンセプトに掲げるNEO JAPONISMに加わってまもなく6年が経つ。大型フェスやワンマンライブ、広告起用…。ひとつずつ結果を重ね、懐疑的な目はいつしか変わった。「あいつ、頑張ってるやん」。耳に届くそんな声が、何よりの勲章だった。

 滝沢は言う。「東京来て、こうやって頑張れとるのが本当に嬉しいし、めっちゃ自慢やなって思うんです」。周りが標準語の中、高知の言葉を使い続ける。それもまた、自分を貫く“闘い”なのだろう。

 ステージに立つたび、胸に浮かぶ言葉がある。それは「ありがとう」だ。「有り難う」と漢字で書くと、“有ることが難しい”ほど貴重な出来事に感謝する言葉になる。

 「自分が嬉しいと思えてるのも、『ありがとう』と思える気持ちも、ここまで来れたのも、全部誰かのお陰で成り立ってる。それは私が生きる中ですごく大事にしている考え方なんです」

 あの日、何者かになりたかった自分がいた。そして今、諦めなかった自分がいる。きょうも滝沢の歌声はステージで熱を帯びる。♪君がいたから 僕でいられた――と。

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