橋幸夫さん死去 吉永小百合、石田社長、ザ・ぼんち…悲痛 ゆかりの人々悼む声が続々とコメント

[ 2025年9月5日 20:43 ]

橋幸夫さん

歌手の橋幸夫さんが4日午後11時48分、死去した。82歳。東京都出身。通夜は9日午後6時、葬儀・告別式は10日正午、東京都文京区の無量山 傳通院で営まれる。喪主は妻・橋真由美(まゆみ)さん。

 橋さんは今年5月にアルツハイマー型認知症の闘病を公表。その後もステージに上がっていたが、再入院していたことを夢グループの石田重廣社長が今月1日に明かしていた。

 1960年にデビュー。ヒット曲「潮来笠」で知られ、アイドル的な人気の「御三家」の1人として活躍した。1962年に吉永小百合とデュエットした「いつでも夢を」、66年「霧氷」でレコード大賞を2度受賞した。

 吉永は訃報に「残念です。とても残念です。橋さんは、いつまでも歌い続けようと思っていらしたことでしょう。二人で歌った『いつでも夢を』は私の宝物です。橋さん、ありがとうございました」と追悼した。2人とも多忙でスケジュールが合わず、初めて一緒に歌ったのがレコード大賞のステージ上だったというエピソードも有名だった。

 石田社長は亡くなる数時間前の4日夕方、病院に見舞いに行き、橋さんの手を握ると、手を振り払う反応があったためひと安心し、帰宅。だが、同日午後11時ごろに夫人から容体が急変したことを知らせる電話があり、タクシーで病院に駆けつけたが間に合わなかった。「10数年前から知っていたけど、素をさらけ出していたこの1年が一番好きでした。自分としてはお兄ちゃんのような存在でした」と悼み、「奥様はここ3カ月、病院で付きっきりで大変だったと思います」と夫人を気遣った。

 橋さんのものまねで人気だった漫才コンビ「ザ・ぼんち」も追悼。里見まさとは「おさむが学生時代から橋さんのモノマネをやってました。THE MANZAIで世に出る時も橋先輩のネタがぼんちを助けてくださいました。めちゃくちゃ優しい方でした。謹んでお悔やみ申し上げます」とコメント。おさむは「漫才ブームのきっかけを橋さんのモノマネで作ることが出来ました。日本武道館のぼんちライブにゲストでお越しいただき、ぼんちの漫才を舞台袖でニコニコしながら見てくれてましたね。私生活でもとても優しくしていただきました」と思い出を語った。

 多数の共演があった女優・倍賞千恵子は「先日もテレビのニュースで元気に歌っていたのを見たばかりだったのでまさか…という気持ちです。映画『舞妓はんシリーズ』などで、たくさん共演させていただきました。2人ともあの頃とても忙しかったけど、今思えば、本当に楽しい撮影の毎日でした。撮影現場がある京都で、おいしいものを食べにつれて行ってもらったこともいい思い出です」と語った。
  橋さんはアルツハイマー型認知症の公表の翌日同月21日に神奈川県小田原市内で開かれた「夢グループ」の20周年記念コンサートに出演。大きな拍手の中、代表曲の「霧氷」など3曲を歌い上げた。だが、橋さんは5月31日に兵庫県で行った事務所20周年記念公演後に自宅から救急搬送され一過性脳虚血発作と診断。翌月8日に退院し、同11日の滋賀公演で復帰したが、その数日後に再び入院していた。

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