【売野雅勇 我が道9】作詞家の道開いた3行広告 音楽のコピーライターに迷わず応募 

[ 2025年8月9日 07:00 ]

ラジオ「JET STREAM」でDJを務めた城達也氏
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 下宿や1人暮らしをしていた大学時代、家にはテレビがありませんでした。

 アメフトの練習を終えて帰宅するのは遅い時間。泥のように疲れた体を癒やしてくれたのは「遠い地平線が消えて…」という言葉で始まる、城達也氏のラジオ「JET STREAM」でした。オーケストラが奏でる「ミスター・ロンリー」に乗って聴こえてくる城さんの気品ある声。海の向こうの未知の世界を想(おも)いながら眠る日々でした。

 4年になって始まった就職活動では、CBS・ソニーレコード(現ソニーミュージック)の邦楽ディレクター職、ニッポン放送の音楽ディレクター専門職、あと広告代理店の試験を受けました。

 CBSは落ちた後に、営業で再度試験を受けないか?と誘われたけれど向いていないと辞退。ニッポン放送は有名なDJの亀渕昭信さんの「音楽ディレクターは一般職ではなく専門職にすべき」という発想で始まったというだけあって試験も特殊でした。論文に加え、英語の譜面と歌詞が8小節ずつ記されている問いを見て、曲名とアーティストを答えるという内容で100問くらいありました。ラジオで流れるヒット曲は全て網羅していた僕は満点で通過。800人以上の応募者の中から、最終面接に進む7人に残りました。

 結果は不合格…。でも、グループ会社のポニー(現ポニーキャニオン)の制作部でディレクター職に推薦しますと連絡が来たんです。「面接に来て」と言われたけど、当時はそれが内定だとは分からなくて、こちらも辞退。面接を受けていたら後に、ニッポン放送系列のレコード会社として設立された「キャニオン・レコード」から、1983年にシングル「ギザギザハートの子守唄」でデビューするチェッカーズとは、作詞家としてではなくディレクターとして仕事をしていたかもしれません。

 最終的に、大阪の老舗広告代理店「萬年社」に入社。春闘で何年も空席だった第一制作部のコピーライターを補填(ほてん)することが決まり、5月20日の辞令で、新聞と雑誌を担当する制作部にコピーライターとして配属されました。最初はドッグフードなどを担当。ガムのテレビのCMも手がけました。2年半ほどたったある日、新聞の端に広告会社「東急エージェンシーインターナショナル(フロンテッジ)」の求人を見つけました。“音楽好きなコピーライター求む”とあり、応募資格は26歳以上、経験3年以上。僕は要件をすべて満たしていませんでしたが、切り抜きを自宅の壁に貼り付けていました。遊びに来た同僚がそれを見て「俺たちは凄い競争率を勝ち抜いて業界4位の会社に入ったのに、たった3行の求人広告で捨てて人生を変えるなんてカッコいい!ぜひやってくれ!」と言ったんです。

 音楽の魅力も魔力も知っている僕は、魂を震わせる音楽の道へ近づくことを決意。新天地に、僕の作詞家としての出発点が待っていました。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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