ダウンタウン初代マネジャー 2人に感じた無限の可能性「こいつら2人連れて吉本を出たら…本当に思った」

[ 2025年3月1日 19:04 ]

大﨑洋吉本興業前会長
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 吉本興業の大﨑洋前会長(71)が、1日放送のTOKYO MX「サバンナ高橋の、サウナの神さま」(隔週土曜後6・00)に出演し、お笑いコンビ「ダウンタウン」との出会いについて語った。

 現場時代には、2人の初代マネジャーとしてらつ腕を振るった大﨑氏。現在は吉本を離れ、大阪・関西万博の催事検討会議共同座長を務めている。

 芸能プロダクションを受けた友人に触発され、吉本興業に入社した大﨑氏。「そのころは吉本の社員って、売れているタレント、芸人さんのマネジャーになった方が、やすし・きよしや桂三枝(現・桂文枝)さんや(笑福亭)仁鶴さんやってなった方が、TBSやフジテレビや、いろんなところに行けるやんか?売れている芸人さんのマネジャーになりたいよな」。マネジャーとしての花形は、既に売れている人気者を担当することだった。

 しかし、大﨑氏は当初、窓際族だったという。「俺は窓際やったから、誰の担当のマネジャーでもなく、NSCというところで床ずっと掃除していて、一番底辺やった」と告白。「ぱっと顔を上げたら、こいつら柄悪そうだな、汚い格好してと思ったら、松本君と浜田君だった」。高校を出てすぐの2人は、見た目こそぱっとしなかったものの、ネタを見た大崎氏は「こんなやつ、まだおったんや」と驚いたという。

 ちょうどフジテレビがバラエティー番組のジャンルを確立し始めたころ。「『THE MANZAI』でツービート、ビートたけし、きよし、紳助・竜介、星セント・ルイス…。ひょっとしたらこれ、漫才の形を変えよるなと思っていた、そんな才能が集まって、バラエティーというジャンルをフジテレビが新しく作って、これ以上のやつは20、30年くらい出てこないなという時、2人のネタを見た時、ほんまにびっくりして」。さらに、「こいつら2人連れて吉本を出たら、めっちゃもうかるやん。世界行けるやんって本当に思った」と、2人に感じた大いなる可能性を熱弁した。

 ところが、当時のダウンタウンは、まだ荒削り。NSC同期のトミーズ、ハイヒールに後塵を拝していた。そのため、大崎氏は若手専用劇場の必要性を感じていたという。「デビューの時から小さいとはいえ、自分たちの劇場がありますというのは、これはかっこええと」。大阪市内で定期ライブ「心斎橋筋2丁目劇場」をダウンタウンの主戦場としたという。「その時に一つ、キーワードを作らなあかんなと思って、“漫才以外のことをやれ”と言うた。漫才を見たければ、(なんば)花月に行けばいいねん。2丁目は違うんやと」。そんな大﨑氏の考えのもと、ダウンタウンは新しい笑いの道を模索していくことになったという。

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