白木みのる「あにい…もっと活躍してほしかった」

[ 2010年2月18日 13:04 ]

藤田まことさんと白木みのるさん(右)。「てなもんや」放送終了後も、私生活では兄弟のように付き合ってきたという=07年10月、大阪市内

 【藤田まことさんの死を悼む】

ショック、中村主水が…藤田まことさん死去

当たり役の数々…絶品だった「てなもんや三度笠」

忘れられない藤田まことさんの主な出演作

 ▼「てなもんや三度笠」で共演した俳優白木みのるの話 2人がメーンの番組だから一緒に戦っていかないといけなかった。毎週大変だったが、そのうち視聴率も上昇、お互い助け合ってそこまで行けたんだろうと思う。ずっと「あにい、あにい」と言って慕っていました。76歳だなんて、あまりにも短い。もっと活躍してほしかった。

 ▼俳優大村崑さんの話 人気歌手のステージの司会、劇場でのコント、黎明期のテレビへ進出と、まこちゃんとは同じスタイルで活動してきた。ステージの司会は芸達者でなければ務まらず、歌がうまい彼は声帯模写歌謡を披露していた。今の若い人には喜劇人だったと知らない人もいるだろう。東京に行って喜劇からシリアスに転じ、大スターになった森繁のおやっさんが歩んだ道によく似ている。大変な手術から復帰して、昔話がいっぱいできると楽しみにしていたので非常に残念だ。

 ▼作家藤本義一さんの話 まこちゃんとは同い年で、20代初めから大阪のテレビ局で顔を合わせていた。20代の後半ごろ、大阪のホテルに呼ばれて役者としての方向性について相談を受けた。彼はせりふのメリハリがはっきりとしていて、現代劇の抽象的な表現には合わないと思い、時代劇、侍の世界を勧めた。その後時代劇で活躍する姿を見て「おれが言った通りになっていくなあ」と思っていた。大スターというよりも、大好きな道を最後まで進んだ信念の人。まだまだこれからを生きる人だった。

 ▼プロ野球・近鉄OBの梨田昌孝日本ハム監督の話 弱い時代から応援してくれた、大の近鉄ファンだった。何度も食事をさせていただいた。役者魂というのか、苦労をされた中で、仕事に熱心で味のある役者だった。(2004年には)近鉄(とオリックスとの)合併にも反対してくれた。すごく残念。

続きを表示

2010年2月18日のニュース