ポランスキー監督 32年前の少女淫行事件で拘束

[ 2009年9月28日 06:00 ]

映画監督のロマン・ポランスキー氏

 映画「戦場のピアニスト」などで知られるロマン・ポランスキー監督(76)が26日、スイス司法当局に逮捕された。1978年に米当局がスイスなどに出した指名手配に基づくもので、前年の77年に起こした少女淫行事件に関連するものとみられる。監督は、開催中のチューリヒ映画祭に出席し賞を受けることになっていた。

 ポランスキー監督はチューリヒ空港で、入国の際に拘束された。今月24日に開幕した映画祭では、同監督作品の回顧上映が行われており、功労賞を受けることになっていたが、27日夜に予定されていた関連イベントは無期延期とされ、事務局は「衝撃を受け失望した」との声明を発表。AP通信によると、映画祭関係者は「茶番劇であり、心外な文化的スキャンダルだ」と警察の対応を批判した。
 一方、スイス司法当局者は同国メディアに、監督を拘束し、米国からの身柄引き渡し要求を待っている状態だと確認した上で「有効な国際指名手配を実行しない理由はない」と話した。
 監督が受けることになっていた賞は、5回目の開催となる映画祭で今年新設された。
 パリ生まれでポーランドで育った監督は、米国に住んでいた77年に、ロサンゼルスで当時13歳の少女に対する淫行事件を起こした。裁判では司法取引により少女と関係を持ったことを認め、有罪判決を受けたが、保釈中の78年に「映画撮影」などと偽って欧州に逃亡。以来、フランスで30年間暮らし、米国には1度も戻っていなかった。03年に「戦場のピアニスト」でアカデミー監督賞を受賞した時も、逮捕の可能性があったためセレモニーには出席しなかった。
 判決については、すでに死亡した判事による不手際があったとして罪状取り下げを求めていたが、米裁判所がこれを棄却していた。
 「戦場のピアニスト」はナチス・ドイツ占領下のポーランドでユダヤ人ピアニストが奇跡的に生き延びる姿を描いた作品で、アカデミー3部門を獲得し、02年カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した。

 ◆ポランスキー監督とは 1933年8月18日、仏パリ生まれ。ユダヤ系ポーランド人で、3歳の時にポーランドへ戻った。7歳の時、一家でアウシュビッツの強制収容所に入れられ母親が死亡。47年に14歳で演劇学校に入学し役者の道へ。54年に国立演劇映画高校入り。62年、監督デビュー作の長編「水の中のナイフ」がベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞にノミネート。68年、ハリウッドデビュー作「ローズマリーの赤ちゃん」が世界的に大ヒットし、国際的に名が浸透。79年「テス」でアカデミー賞撮影賞など3部門を制した。63年にパリに戻り、私生活では64年に女優バルバラ・ラスと結婚したがすぐに離婚。68年に女優シャロン・テートと結婚し渡米。69年8月に妊娠中のテートがカルト集団に惨殺される事件が起きた。89年に、33歳下の女優エマニュエル・セニエ(43)と3度目の結婚をし子供が2人いる。

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2009年9月28日のニュース