“遺作”託されサブちゃん「兄貴失った」

[ 2008年12月7日 06:00 ]

弔問に訪れた北島三郎

 戦後歌謡界を代表する作曲家・遠藤実氏の悲報に、多くの歌手が悲しみに暮れた。東京・杉並区の遠藤さんの自宅には北島三郎(72)、舟木一夫(63)、小林幸子(55)、森昌子(50)、アグネス・チャン(53)らが弔問に駆け付けた。北島は来年6月のデビュー日に、遠藤さんが作った記念曲を発売する予定だったことを明かし「約束は絶対に果たす」と誓った。

 北島はこの日夕、遠藤さんの自宅を訪問。遠藤さんのほおをそっとなでたといい「冷たくてね。すやすや眠っているようだったよ」と天を仰いだ。63年にNHK紅白歌合戦に初出場し歌った曲が遠藤さん作曲の「ギター仁義」。プライベートでも親交があり、日頃から音楽談議を重ねてきた。「僕の師匠は船村徹さんだけど、遠藤さんは兄貴のような存在。本当に大事な人を失った。歌謡界にとっても大損害だと思う」と悼んだ。
 7月、遠藤さんが北島の御園座公演を観劇した際に「楽曲を提供したい」と依頼してきた。北島は「とてもウキウキした表情で“当て(ヒットさせ)ようぜ。でけえのをさ”って言われて。凄くいい曲で、デビュー記念曲として出すことに決めたんだ」と振り返った。
 タイトルは「比叡の風」(作詞いではく)。ティッシュの箱に譜面が書かれていた。比叡山の僧侶の修行を人生に例えた曲。「体調が悪いと聞いていたから、僕がこの曲をヒットさせれば元気になってくれると思っていた。それがこんなに早く亡くなるとは」と悔やんだ。そして「男と男の約束。デビュー記念曲として必ず出します」
 いで氏によると、4日に同曲の発売が決まったことを遠藤さんに伝えると「そうか」とうれしそうにほほ笑んでいたという。また遺作としては、「おひまなら来てね」を歌った五月みどり(69)にも曲を提供しており「お願いしたら3、4日で作ってくれて本当に感謝しています」と話した。

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2008年12月7日のニュース