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【浜田剛史 我が道22】体が動かない、目が見えにくい 誰にも言わなかった異変

[ 2026年1月23日 07:00 ]

ビデオで王者アルレドンドを研究(右は本田会長、後方の写真は大場政夫 ボクシング・ビート誌提供)
Photo By 提供写真

 これは、初めての経験でしたね。

 1986年(昭61)7月24日に世界挑戦が決まったオレは、6月9日にジムワークを再開しました。でも、体が思うように動かないし、体も熱い。動きたい一心で減量カッパを脱いでも、体は動いてくれなかった。

 さらに、目が見えにくくなった。1メートル先がぼやけるんですね。ミットは見えるけど、スパーリングの相手は見えない。世界戦に備えて毎晩、映像を見ていたのが原因だと思いましたね。当初、この体の異変は、誰にも言ってませんでした。

 でも、試合まで1カ月を切った6月27日、ついにバレました。アマチュアの全日本王者・赤木(プロ入り後は赤城)武幸とのスパーリングで打たれて、鼻血を出したんですよ。本気で打てばKOしてますけどね。

 おい、どうしたんだと。帝拳ジムのらせん階段を四つんばいで上っていた目撃情報もあって、病院に行くことになった。まあ、疲れも、体が動かないのもあったけど、はって上ったのは、余分な力を使わないためですな。

 行ったのは眼科ですね。目は悪くない、極度の疲労だと言うんです。だからオレは、ご飯を食べる、練習する以外は、ずっと目をつぶってましたよ。映像を見るのもやめて、試合当日も国技館に着くまでずっと、目を閉じてました。

 まあ、眼科にしか行ってないので、病名は分からないですが、オーバーワーク症候群でしょうな。世界戦に備えて練習量を増やしていたし、減量も早めに進めていた。疲労が蓄積して、体が動かなくなったんでしょう。

 そのころ、2番目の姉の範子の夢に母方の祖父が出てきて「剛史のところに行け」と言ったと、連絡がきた。沖縄から上京して、上板橋に買ったオレのマンションに来ることになりました。邪魔なら帰る条件でね。

 当時は、おやじが仕事で扱っていたクロレラを1日30錠飲んでたんですが、それを飲むためのミネラルウオーターの1リットルパックのフタを閉められない。目がよく見えませんからね。びっくりした姉は試合まで一緒にいて、洗濯や食事などの世話をしてくれました。

 試合2週間前には、引っ越しもしました。おふくろが「方角が悪い」と言うんで。上板橋から、方角がいい沼袋にマンションを借りて、移りました。本田明彦会長が探してくれたんですね。

 なんで一番大事なときに、という焦りはあった。それが、世界タイトルの重みだったかもしらんですね。これまでの蓄積で、極度の疲労が出た。だから、いいと思うことは何でもやりました。

 試合1週間前から調子が戻り始めました。練習を打ち上げた7月20日、桑田勇トレーナーが言いました。

 「間に合ったな」

 ◇浜田 剛史(はまだ・つよし)1960年(昭35)11月29日生まれ、沖縄県出身の65歳。沖縄水産高で高校総体王者。帝拳ジムからプロデビューし、84年12月に日本、85年7月に東洋太平洋のライト級王座を獲得。86年7月にレネ・アルレドンド(メキシコ)を衝撃的な初回KOで破り、WBC世界スーパーライト級王座を獲得した。戦績は24戦21勝19KO2敗1無効試合。現在は帝拳ジム代表。

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