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藤波辰爾「闘魂そのもの」 猪木さんの病床見舞って最後にもらった言葉「元気ですか~」

[ 2022年10月2日 04:15 ]

アントニオ猪木さん死去

ガッチリ握手する(左から)坂口征二氏、藤波辰爾、アントニオ猪木氏
Photo By スポニチ

 「燃える闘魂」アントニオ猪木さんの突然の訃報にマット界に衝撃が走った。猪木イズムを継承する愛弟子らはこの日、追悼のコメントを寄せ、希代のスーパースターを悼んだ。猪木さんの弟子で、今もなお現役で活躍する藤波辰爾(68=ドラディション)は本紙の取材に「闘魂そのもの」と感謝の意を表した。

 一番弟子の藤波は悲しみに暮れながらもこの日もマットに上がった。神奈川・とどろきアリーナで行われたプロレス団体「ヒートアップ」の試合に出場。開始前には10カウントゴングが鳴らされ、来場者全員で黙とうした。「リングに足を踏み入れても、猪木さんを探してしまった。つらい。まだ僕の中で生き続けている。幕を下ろしたくない」と涙で声を震わせた。

 愛弟子としてアントニオ猪木さんを50年近く支えてきた藤波は約1カ月前に妻と見舞いに行った時は、猪木さんもベッドから起き上がって見送ってくれたという。「最後にかけていただいた言葉は“元気ですか~”でした。逆に自分が元気をもらった気分でした」。師匠の元気そうな姿を見て安堵(あんど)しただけに信じられない思いが拭えないという。「朝、息子から(訃報を)聞かされました。まだ気持ちが整理できないし、言葉がありません」と言葉を詰まらせた。

 アントニオ猪木に憧れプロレスラーを目指した藤波は16歳で日本プロレスに入団。猪木さんと行動を共にし、1971年12月に退団し翌年3月6日、猪木さんが創設した新日本プロレスの旗揚げ戦(大田区体育館)に参加した。付き人としてかばん持ちから始めたプロレス人生。猪木さんのプロレスに対する姿勢が印象深いとし「厳しい目つきが忘れられない。師匠でもあり、親でもあった。常に何かをしようというのが、そばにいてよく分かった」と述懐する。1988年4月には自分の髪をはさみで切って猪木さんに世代交代を訴える“飛龍革命”も起こした。「一番の思い出」には同年8月8日の横浜大会、60分フルタイムドローの死闘を挙げた。

 猪木さんの印象は「まさに闘魂そのもの。常にリングだけでなくいろんなものと戦っていた。ファン、国民に元気を与えることだけ考えていた」。プロレス界最大のスターの旅立ちを寂しがるとともに「残念ですけど今はゆっくりされているのかな」と悼んだ。

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2022年10月2日のニュース